「原子力発電所の(合理的で、均整の取れた)安全性強化」と、「自然やテロなどの災害に対する(総合的で、含みのある)即応性強化」の二つは相補完して、ようやく本格的な福島対策になり、災害を受けた方々に安心感を与えるものになると見るべきでしょう。そのうち一方だけに偏るのは、事故総体としての安全性が守れないといわざるをえません。しかし現在は、前者に余りに焦点が絞られすぎていることに危惧をもっています。そこで、ここでは後者について考えてみたいと思います。
安全基準は昨年9月に新しく設置された原子力規制委員会の下で作成され、再稼働についてはそれに基づいて審査されることになっている。しかし、その運用には疑念が持たれ再稼動の見通しは明らかではない。 活断層についても、活断層の定義に当てはまるものがあれば、その上に設置された原発の再稼動を許容しないとしており、一部の地震学者の手に日本のエネルギー政策が握られてしまうことになるのである。これを打開するには、原子力行政を所掌する経産省、財務省、原子力規制員会が原発の再稼働を実現するための方策を国民に提示し、きちんとした議論が出来る素地を作るとともに、自民党政権がしっかりとした方針を持って原発の再稼働への道筋を早急に示すべきである。 ここでは、再稼働の遅れが、日本の経済や社会に与える影響について、公表されている資料などに基づき紹介する。
3.11の過酷事故後の福島第一原子力発電所の汚染水の現状の問題、課題等を整理すると目下の問題、関心事等は
(1)事故後の炉心冷却水のように汚染されたものが貯蔵、保管されているが、その量が非常に多いので、適切に処理されて環境に影響ないように出来るのか
(2)汚染された水に地下水が混入し、ますます汚染水の量が増えていき、処理しきれなくなるのではないか
(3)貯蔵タンク、配管などから汚染水が漏れ出して、環境を汚染するのではないか
(4)処理、浄化した水を海に放出した際の魚貝等、環境への影響はどうなるのか
である。
これらについて、最近の国で開かれた汚染水処理対策委員会での資料などを基に整理してみた。
(1)事故後の炉心冷却水のように汚染されたものが貯蔵、保管されているが、その量が非常に多いので、適切に処理されて環境に影響ないように出来るのか
(2)汚染された水に地下水が混入し、ますます汚染水の量が増えていき、処理しきれなくなるのではないか
(3)貯蔵タンク、配管などから汚染水が漏れ出して、環境を汚染するのではないか
(4)処理、浄化した水を海に放出した際の魚貝等、環境への影響はどうなるのか
である。
これらについて、最近の国で開かれた汚染水処理対策委員会での資料などを基に整理してみた。
讀賣新聞平成25年5月4日9面の、こんなタイトルが目に飛び込んできた。『編集委員が迫る』の特集である。インタビュー相手は、アグネタ・リーシング女史で、世界原子力協会理事長である。女史はスウェーデン最大の電力会社バッテンフォール(前身は国家電力庁)の環境担当副社長を経て、2013年1月から現職、専門は放射線防護、と紹介している。
★再び原発維持へ回帰したのはなぜか。
原子力に代わるエネルギー源の議論が始まった。「風力と太陽光で大丈夫」という意見もあった。(化石燃料の利用に伴う)温暖化への懸念もあり、国民は政府以上に原子力を支持するようになった。政府は国民の後を追う形で、脱原発を撤回した。
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本年2月20日付の朝日の社説「原発推進派 規制委批判のピンぼけ」を読んで、いつかこのような記事が出ると思っていた。“案の定”出た(社説はIOJだより69号参照)。論調は、「原発推進派が規制委員会の独立性を損ねようとしている」というもの。推進派に対する先入観に基づいたいつものいい方。規制委員会の余りにも偏った行為を批判する意図を曲解している。そもそも反原発の朝日が規制委を支持すること自体、規制委が本来の役目を果たしていないことを意味する。いくつか論点を取り上げてみたい。
昨年8月に「IOJだより・第44号」『朝日・読売の原発に関する社説は正反対―1年間の両紙社説の比較分析』(2012年8月1日付)を発行した。そこではIOJ独自の切り口【透視程度】、[主張形式】、【客観性】、【科学性】、【大局観】で両紙社説を比較し、【客観性】、【科学性】で特に大きな差異があることを示した。
66号 立川断層誤認があぶり出した「規制委員会・有識者会合」の信用失墜- 読売新聞オンライン、産経新聞、朝日新聞 を読んで -
- カテゴリ: 原子力規制 2013-4-4 17:50 閲覧 (2517)