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SEJ 日本のエネルギーを考える会

107号 小泉元総理の原発ゼロ主張を分析する−誤解の研究(3)−


カテゴリ:  会員    2015-4-10 16:30   閲覧 (1874)

1.はじめに


 小泉純一郎元総理(以下、小泉氏)の脱原発に関する発言をまとめたものがネットに公開されている。読んでみて驚いた。発言内容はいとも単純で同じことの繰り返しだ。これこそシステム1(直感)に基づいた典型的な発言ではないかと思う。 


1)日本が原発の安全性を信じて発信してきたのは過ちだった。(日本食育学会・講演)
[ 日本の原発が40年間安全にかつ安価で安定した電力を供給してきた実績を無視している。原発は長期小泉政権の維持にも貢献したのではないか。]
2)原発が絶対に安全かといわれるとそうではない。これ以上、原発を増やしていくのは無理だと思う。(同学会講演)
[ 原発だけでなくあらゆる構造物の絶対安全は目標であって永遠に実現できない。これで困らないようにしてきたのが人知。人間は目標達成に向け安全性を高めて行くことしかできない。]
3)原発への依存度を下げ、世界に先駆けて自然エネルギーを推進しないといけない。(同学会講演)
[ 安倍政権は自然エネルギーを推進している。しかし、原発をベースロード電源としないと自然エネルギーの活用は難しい。大量の化石燃料をベースロード電源にすると環境破壊がひどくなる。

4)政府は、原発は低コストだとしてきたが、高レベル放射性廃棄物を処分するには、膨大な費用と数万年の時間がかかる。(ホテルでの講演)
[ 数万年は地質の安定性のことで、貯蔵安全性とは関係ない。十数兆円だから高いという見方は浅薄。環境破壊はお金に替えられない。また国家の安全保障もコストだけで片づけられない。]
5)震災で今なお苦しんでいる方がたくさんいる。日本はいつもピンチをチャンスに変えてきた。(都内での講演)
[ 震災と原発事故を混同しないこと。復興の責任を負うべきは当時の民主党幹部と風評被害をもたらしたマスコミ。避難民は経済的に優遇され過ぎ、通常の条件では帰還しないという声もある。]
6)10万年だよ。300年後に考えるっていうんだけど、みんな死んでいるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ。(欧州視察後の講演)[ 反論は後述。]
7)フィンランドには原発が4基しかないが、日本には50基ある。今すぐ止めないと最終処理が難しくなる。(オンカロ視察後の話)[ これは彼の誤解。]
8)国民の信なくば立たずという原点に立ち返って、「原発ゼロ」を主張している。(安倍総理との会食)[ 最悪の事故が福島事故程度であれば、数百年に一度の事故は仕方がないという考えもある。むしろ、隣国での事故が懸念される。原子力なくしてこの国は立ち行かぬという野田元総理の発言こそ、国民に対し信を立てることになるのではないのか。]
小泉氏の発言は直感的で判りやすいが論理的に乱暴すぎる。システム1(直感や情緒)が顔を利かせ、システム2(推論的)的考察は皆無である。発言の基調は「原発は危険で核のゴミの処理ができない」にあるが、反論する気も起きない誤解が多い。彼がこのような誤解を全国にばらまいていることは元総理の発言であるだけに、それが誤解であると論破し続ける必要がある。何ともやりきれない状況だ。発言は時間と共に減衰しやがて消滅すると思うものの、誤解研究の格好の分析対象になると思い、ここに取り上げた。

2.小泉氏の直感的発言は日本の伝統そのもの


丸山真男は「日本の思想(岩波新書)」の中で「・・・むしろ過去は自覚的に対象化されて現在に止揚されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこむのである。思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関係な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。一定の時間的順序で入ってきたいろいろの思想が、ただ精神の内面における空間的配置を変えるだけでいわば無時間的に併存する傾向を持つことによって、却ってそれらは歴史的な構造性を失ってしまう。・・・」と述べている。
これは例えば「明治に輸入された西洋思想」が我が国では体系化されないで無秩序に混在している状況を言っている。これを原発に当てはめて意訳すると、『これまでの原発の産業への貢献が対象化され現在に止揚されないため、原発の存在は福島事故によっていとも簡単に抹殺された。しかし、「原発なしでこの国は立ち行かぬ」という思いは原発関係者の精神に潜行している。それは体系化されないで無秩序に存在している。事故後4年を経ても体系的な主張はなく断片的に語られるだけである。電気料金という経済的要請だけが運転再開を明示的に要請している。このような状況は、原子力の過去の実績を歴史的視点に立って体系化(構造化)しなかったことに原因がある。』ということになる。
日本人は原発問題(有用性と危険性と安全性)を構造的に正しく把握しようとしない。小泉氏の主張は構造も何もあったものではない。システム1的理解だけに止まり、システム2へ進むことができないでいる。原発は、本来、歴史的構造性を持って評価されなければならないが、それはどこにも見当たらない。推進派も過去の原発の実績を“思い出”としてしか評価しないが、それにしても小泉氏はひどすぎる。
小泉氏がシステム1に止まり、原発の悪い側面だけに着目し、それをアンカーにし、「あの小泉氏があのように言うのだったらそうかな!」という後光効果を全国にばらまいている。まるで「大胆な面構えのピッチャーなら剛速球を投げそう」という後光効果にそっくり。アンカー効果・後光効果という特性に影響され易い日本的精神は歴史的秩序を空間的無秩序(思い出)に変えて何とも思わない。我々は、過去を上手に整理して体系化し、それを未来に活かして行くことに関して、呪縛にかかったように何もできない劣等国民だと言ってもよいのではないか。

3.最終処分に関する小泉氏に対する反論


 発言だけを聞いていると、小泉氏の最終処分場に関する理解はおかしい。
まず、10万年先の地質の安定性は誰も精確には予測できないが、おおよその予測はつく。第一近似としてそれを指針にすることは容認できる。小泉氏は、人類が原子力なしに10万年も生存することが可能かどうか、をまず問うべきだろう。最終処分場が確保できなければ、原発の維持は難しいし、原発が活用できなければ人類は異常気象などのため10万年も生存することはできまい。これは単純な“システム2”的考察だがそれすらない。また、埋葬された“核のゴミ”はただ地上の管理棟で監視するだけだから、人類が生きている限り10万年に亘る管理は可能。人類が絶滅していれば管理する必要はまったくない。
しかし、放射能の減衰は八千年経てばウラン鉱石程度に減衰する。その後の管理は無用で閉鎖にして良い。数百年後に問題が発見されれば、その時対応すればよい。詳しくは、想定事故のシミュレーションが参考になる。万一最大事故が起きたとしても、その広がりは地球規模に比べれば点である。常識を逸脱した机上の疑問はほどほどにすべきではないだろうか。

4.反原発主義者が“言わないこと”に注目する

 



 福沢諭吉は“文明論の概略”で、議論に際し、「相手の言わないことは何か」を探ることが重要という。小泉氏は反原発がもたらす不都合にはほとんど触れない。郵政改革を掲げて選挙に打って出たとき同様、主張したいことだけを強調する。政治家の常套手段であろう。ヒットラーは嘘も繰り返せば真実になるといった。彼が言っていないことを列記してみる。
1)自然エネルギーの開発の必要性には同感であるが、その力量に目をつぶって、原発の不必要性を強調するのは間違い。自然エネルギーはベースロード電源になれないので、原発とのベストミックスが現実的選択。システム2に従えば当然なことが、システム1だけだと、本来あるべき論点を避けることになる。沢昭裕氏は、一国自然エネ主義はヨーロッパと違い日本では成立しない、と主張している(産経新聞、3月23日付)。
2)原発事故の危機管理はしたり顔に強調するが、ホルムズ海峡で紛争が発生した時の危機管理やエネルギー安全保障などについては口をつぐんだまま。
3)福島復興の遅れは民主党政権の稚拙な対応に主因があるが、日本の運命を決するほどの事故ではあるまい。事故の相対化が議論されても良い時期に来ている。
4)最終処分場については反対派の非科学的主張が功を奏し、国民の間に多くの誤解が流布しているが、その誤解を知らないはずはないのに言及しない。
5)放射能に対する国民の理解には多くは誤解、偏見、悪い意図が混在しており、科学的主張が受け入れられていない。心ある学識経験者は正しい見解を発信し続けているが、マスコミ同様小泉氏も無視し続けている。
6)中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立を提案した。世界は雪崩を打ってそれに参加し始めた。中国は野望の国である。尖閣諸島の次には沖縄も歴史的には中国のものと言い始める。中国の狙いは東南アジア地域の経済発展を支配下に置き、原発建設とインフラ整備を中国指導で推進することであろう。世界は今後(約三十年間)約800基の原発を建設する。中国はその内約500基を建設するという野望を持つ。このような激動する国際状況の中で、日本の「一国原発ゼロ主義」がどうして通用するのか、大きな疑問である。

5.結 語


 誤解を誤解だと見抜く有効な手立ては、主張が、1)システム1だけか、システム2まで推論されているか、を見抜くことであろう。2)次いでアンカーがあるかどうか、思考停止を招く後光効果はあるのか否か、を探ることである。誤解の生じる原因のひとつは、問題は朝日、毎日などによる知的に巧妙な記事である。これまでの経験則によれば、執拗に繰り返される報道には要注意。原発問題しかり、特定秘密保護法案しかり、民主党賛美の記事しかり、など、3)理性を失ったと思われる記事には気をつけるべきであろう。
参考:システム1*、システム2*「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン著 ハヤカワノンフィクション文庫より                                                                           
(宮 健三 記)

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107号 小泉元総理の原発ゼロ主張を分析する−誤解の研究(3)−


カテゴリ:  会員    2015-4-10 16:30   閲覧 (1874)

1.はじめに


 小泉純一郎元総理(以下、小泉氏)の脱原発に関する発言をまとめたものがネットに公開されている。読んでみて驚いた。発言内容はいとも単純で同じことの繰り返しだ。これこそシステム1(直感)に基づいた典型的な発言ではないかと思う。 


1)日本が原発の安全性を信じて発信してきたのは過ちだった。(日本食育学会・講演)
[ 日本の原発が40年間安全にかつ安価で安定した電力を供給してきた実績を無視している。原発は長期小泉政権の維持にも貢献したのではないか。]
2)原発が絶対に安全かといわれるとそうではない。これ以上、原発を増やしていくのは無理だと思う。(同学会講演)
[ 原発だけでなくあらゆる構造物の絶対安全は目標であって永遠に実現できない。これで困らないようにしてきたのが人知。人間は目標達成に向け安全性を高めて行くことしかできない。]
3)原発への依存度を下げ、世界に先駆けて自然エネルギーを推進しないといけない。(同学会講演)
[ 安倍政権は自然エネルギーを推進している。しかし、原発をベースロード電源としないと自然エネルギーの活用は難しい。大量の化石燃料をベースロード電源にすると環境破壊がひどくなる。

4)政府は、原発は低コストだとしてきたが、高レベル放射性廃棄物を処分するには、膨大な費用と数万年の時間がかかる。(ホテルでの講演)
[ 数万年は地質の安定性のことで、貯蔵安全性とは関係ない。十数兆円だから高いという見方は浅薄。環境破壊はお金に替えられない。また国家の安全保障もコストだけで片づけられない。]
5)震災で今なお苦しんでいる方がたくさんいる。日本はいつもピンチをチャンスに変えてきた。(都内での講演)
[ 震災と原発事故を混同しないこと。復興の責任を負うべきは当時の民主党幹部と風評被害をもたらしたマスコミ。避難民は経済的に優遇され過ぎ、通常の条件では帰還しないという声もある。]
6)10万年だよ。300年後に考えるっていうんだけど、みんな死んでいるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ。(欧州視察後の講演)[ 反論は後述。]
7)フィンランドには原発が4基しかないが、日本には50基ある。今すぐ止めないと最終処理が難しくなる。(オンカロ視察後の話)[ これは彼の誤解。]
8)国民の信なくば立たずという原点に立ち返って、「原発ゼロ」を主張している。(安倍総理との会食)[ 最悪の事故が福島事故程度であれば、数百年に一度の事故は仕方がないという考えもある。むしろ、隣国での事故が懸念される。原子力なくしてこの国は立ち行かぬという野田元総理の発言こそ、国民に対し信を立てることになるのではないのか。]
小泉氏の発言は直感的で判りやすいが論理的に乱暴すぎる。システム1(直感や情緒)が顔を利かせ、システム2(推論的)的考察は皆無である。発言の基調は「原発は危険で核のゴミの処理ができない」にあるが、反論する気も起きない誤解が多い。彼がこのような誤解を全国にばらまいていることは元総理の発言であるだけに、それが誤解であると論破し続ける必要がある。何ともやりきれない状況だ。発言は時間と共に減衰しやがて消滅すると思うものの、誤解研究の格好の分析対象になると思い、ここに取り上げた。

2.小泉氏の直感的発言は日本の伝統そのもの


丸山真男は「日本の思想(岩波新書)」の中で「・・・むしろ過去は自覚的に対象化されて現在に止揚されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこむのである。思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関係な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。一定の時間的順序で入ってきたいろいろの思想が、ただ精神の内面における空間的配置を変えるだけでいわば無時間的に併存する傾向を持つことによって、却ってそれらは歴史的な構造性を失ってしまう。・・・」と述べている。
これは例えば「明治に輸入された西洋思想」が我が国では体系化されないで無秩序に混在している状況を言っている。これを原発に当てはめて意訳すると、『これまでの原発の産業への貢献が対象化され現在に止揚されないため、原発の存在は福島事故によっていとも簡単に抹殺された。しかし、「原発なしでこの国は立ち行かぬ」という思いは原発関係者の精神に潜行している。それは体系化されないで無秩序に存在している。事故後4年を経ても体系的な主張はなく断片的に語られるだけである。電気料金という経済的要請だけが運転再開を明示的に要請している。このような状況は、原子力の過去の実績を歴史的視点に立って体系化(構造化)しなかったことに原因がある。』ということになる。
日本人は原発問題(有用性と危険性と安全性)を構造的に正しく把握しようとしない。小泉氏の主張は構造も何もあったものではない。システム1的理解だけに止まり、システム2へ進むことができないでいる。原発は、本来、歴史的構造性を持って評価されなければならないが、それはどこにも見当たらない。推進派も過去の原発の実績を“思い出”としてしか評価しないが、それにしても小泉氏はひどすぎる。
小泉氏がシステム1に止まり、原発の悪い側面だけに着目し、それをアンカーにし、「あの小泉氏があのように言うのだったらそうかな!」という後光効果を全国にばらまいている。まるで「大胆な面構えのピッチャーなら剛速球を投げそう」という後光効果にそっくり。アンカー効果・後光効果という特性に影響され易い日本的精神は歴史的秩序を空間的無秩序(思い出)に変えて何とも思わない。我々は、過去を上手に整理して体系化し、それを未来に活かして行くことに関して、呪縛にかかったように何もできない劣等国民だと言ってもよいのではないか。

3.最終処分に関する小泉氏に対する反論


 発言だけを聞いていると、小泉氏の最終処分場に関する理解はおかしい。
まず、10万年先の地質の安定性は誰も精確には予測できないが、おおよその予測はつく。第一近似としてそれを指針にすることは容認できる。小泉氏は、人類が原子力なしに10万年も生存することが可能かどうか、をまず問うべきだろう。最終処分場が確保できなければ、原発の維持は難しいし、原発が活用できなければ人類は異常気象などのため10万年も生存することはできまい。これは単純な“システム2”的考察だがそれすらない。また、埋葬された“核のゴミ”はただ地上の管理棟で監視するだけだから、人類が生きている限り10万年に亘る管理は可能。人類が絶滅していれば管理する必要はまったくない。
しかし、放射能の減衰は八千年経てばウラン鉱石程度に減衰する。その後の管理は無用で閉鎖にして良い。数百年後に問題が発見されれば、その時対応すればよい。詳しくは、想定事故のシミュレーションが参考になる。万一最大事故が起きたとしても、その広がりは地球規模に比べれば点である。常識を逸脱した机上の疑問はほどほどにすべきではないだろうか。

4.反原発主義者が“言わないこと”に注目する

 



 福沢諭吉は“文明論の概略”で、議論に際し、「相手の言わないことは何か」を探ることが重要という。小泉氏は反原発がもたらす不都合にはほとんど触れない。郵政改革を掲げて選挙に打って出たとき同様、主張したいことだけを強調する。政治家の常套手段であろう。ヒットラーは嘘も繰り返せば真実になるといった。彼が言っていないことを列記してみる。
1)自然エネルギーの開発の必要性には同感であるが、その力量に目をつぶって、原発の不必要性を強調するのは間違い。自然エネルギーはベースロード電源になれないので、原発とのベストミックスが現実的選択。システム2に従えば当然なことが、システム1だけだと、本来あるべき論点を避けることになる。沢昭裕氏は、一国自然エネ主義はヨーロッパと違い日本では成立しない、と主張している(産経新聞、3月23日付)。
2)原発事故の危機管理はしたり顔に強調するが、ホルムズ海峡で紛争が発生した時の危機管理やエネルギー安全保障などについては口をつぐんだまま。
3)福島復興の遅れは民主党政権の稚拙な対応に主因があるが、日本の運命を決するほどの事故ではあるまい。事故の相対化が議論されても良い時期に来ている。
4)最終処分場については反対派の非科学的主張が功を奏し、国民の間に多くの誤解が流布しているが、その誤解を知らないはずはないのに言及しない。
5)放射能に対する国民の理解には多くは誤解、偏見、悪い意図が混在しており、科学的主張が受け入れられていない。心ある学識経験者は正しい見解を発信し続けているが、マスコミ同様小泉氏も無視し続けている。
6)中国はアジアインフラ投資銀行(AIIB)の設立を提案した。世界は雪崩を打ってそれに参加し始めた。中国は野望の国である。尖閣諸島の次には沖縄も歴史的には中国のものと言い始める。中国の狙いは東南アジア地域の経済発展を支配下に置き、原発建設とインフラ整備を中国指導で推進することであろう。世界は今後(約三十年間)約800基の原発を建設する。中国はその内約500基を建設するという野望を持つ。このような激動する国際状況の中で、日本の「一国原発ゼロ主義」がどうして通用するのか、大きな疑問である。

5.結 語


 誤解を誤解だと見抜く有効な手立ては、主張が、1)システム1だけか、システム2まで推論されているか、を見抜くことであろう。2)次いでアンカーがあるかどうか、思考停止を招く後光効果はあるのか否か、を探ることである。誤解の生じる原因のひとつは、問題は朝日、毎日などによる知的に巧妙な記事である。これまでの経験則によれば、執拗に繰り返される報道には要注意。原発問題しかり、特定秘密保護法案しかり、民主党賛美の記事しかり、など、3)理性を失ったと思われる記事には気をつけるべきであろう。
参考:システム1*、システム2*「ファスト&スロー」ダニエル・カーネマン著 ハヤカワノンフィクション文庫より                                                                           
(宮 健三 記)

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