1.誤解の分類と構造
誤解の原因は、問題の理解が論理的に正しくない場合と心理的なバイアスや直観的錯誤に起因する場合に大別できる。前者を論理的誤解、後者を心理的誤解、と呼ぶ。論理的誤解は正しい理解をしている人に正してもらえば問題なく解決できる。それ故、ここでは取り上げない。原子力の場合、心理的誤解が問題である。
誤解の研究(1)では、アンカー効果に基づく心理的誤解について分析した。論理的理解であるべきものが心理現象である“アンカー効果”によって歪められるという現象である。“放射能への恐れ”について、誤解の研究(1)で述べた内容を整理しなおすと以下のようになる。誤解の有りようは、
“アンカー効果”がシステム1に起因する直感的把握にバイアスを及ぼす初期過程、
正しいかどうかは別にして、それらの心理現象に基づいて、システム1とシステム2(論理的思考)が協業して論理的に納得のいくシナリオを作り上げ、それに自らが満足するという中間過程、
2つの過程を経た後、そのシナリオの中に安住でき他人の説得に馬耳東風でいられる状況、
という3つの過程が誤解形成のメカニズムである。
それでは、バイアスはどのようなメカニズムで発火されるのか。ある強烈な印象が心理的に固着してしまうとアンカーであり続け、システム1に基づいた世界ではいつまでも人の判断や行動にバイアスをかけ続ける。福島事故の衝撃が良い例である。判断に際してシステム2の協力があれば、このバイアスは矯正されるか少なくとも軽減される。逆に粘り強い思考に慣れない人は、システム1に基づいた情緒的説明にコロリと参ってしまう。子を持つ母親は子に対する深い愛情がアンカーとなりバイアスを生み、放射能に関する理解が歪んでしまう。福島事故の悲惨さを見て原発推進から原発反対にコロリと都合よく転向した菅直人氏などはそのくだらない例である。
このアンカーは構造を持つ。単体的であったり、現象的であったりする。このとき、生じる誤解はそれぞれ“点的”及び“面的”として特徴づけられる。面的な誤解の例は、
太平洋戦争に突入する前の軍部や軍部に協力した朝日などのマスコミが犯した今では信じられないほどの国際状況ついての誤解である。
朝日新聞の従軍慰安婦に関する数十年に渡る虚報あるいは誤報は、システム1に基づいて人々の心を捉え、それを定着させるためシステム2を動員して巧妙なシナリオを作り上げ、説得性のある記事として何十年も報道された例である。これは先に述べた誤解形成の3項から成る過程に絵に描いたようにぴったり合致する。
また、リベラルと称されるインテリ読者が朝日を何十年も信じてきた理由をアンカー効果に照らしてみると興味深い。朝日によって蓄積され読者に埋め込まれたアンカー群の一部が虚構だと判明したところで、読者は朝日を捨てない。朝日の誤報は、朝日が長い間作り上げた諸々の“アンカー”に依拠して主張を組み立て、読者を誘導してきた結果に致命的な打撃を与えない。システム2の利用も巧妙で、正義心には欠けているのが致命的であるが、組み立てられた論理は見事である。慰安婦に関する報道が虚報であっても、朝日は簡単には崩壊しない。
朝日が埋め込んだアンカーの例として、朝日が戦後高名な知識人を活用して作り上げてきた“戦争責任”に対する“原罪”を挙げることができる。
今でも健在で、例えば、憲法9条を神聖化してその改正を禁句にしているいわゆる護憲派の中にも脈々と生きている。いわゆる平和ボケの根幹的な原因でもある。しかし、朝日のこの壮大なトリックに勝つためには何か相当の工夫が必要である。
2.後光(Halo)効果による誤解
後光は「仏像に後光がさす」という風に使われる。後光がさすと仏像のありがたみが増幅され、仏像そのものに対する冷静な評価や分析は禁句となる。いわゆる、対象の神聖化である。神聖化されたものは人々の批判の対象となりえず、神棚にあげられ、信仰の対象になる。これを卑俗化していえば、「あのピッチャーは精悍な顔つきをしている。きっとすごい球を投げるだろう」というアンカーは人気の元である。「彼は芥川龍之介のような理知的な顔つきをしている。きっと頭が良く、大変な秀才だろう」というアンカーは尊敬の元となる。まぶしさが災いして、仏さまでないのを仏さまと見間違えば、それは直ちに誤解となる。人気スターは大抵後光効果で作られる。ここには、すごいピッチャーかどうかを検証する努力が見られない。脳が面倒くささを嫌うからである。脳はなるべくシステム1でことを済ませようとする。
さらに言えば、後光効果は「良い人間のすることはすべて良く、悪い人間のすることはすべて悪い」と言うように、過剰で一貫性に富んだ評価を下しがちである。これは「原発に関することはすべて悪で、自然エネルギーに関することはすべて善である」という間違った思いに通じる。この「過剰で一貫性に富んだ」という表現は重要で、それが正しいかどうかは余り問題ではなく、自らが考え出したシナリオが「矛盾していたとしても見かけ上一貫性に富んでいれば」、心に染み付いてそれを覆すのは至難のわざとなる。ここには、個体的なアンカーはない。面的な誤解である。このような状況下では、システム2を導入して時間をかけて推論する努力をしたくないという精神(脳)の要求が支配的である。誰でも、29x37という掛け算を暗算ではやりたくない。この一貫性に富んだシナリオは、アンカー効果に刺激されても作られるし、この後光効果に基づいても組み立てられる。つられる様が異なるだけである。
それでは、この後光効果によってもたらされる原子力の誤解はどんなものになるか、以下考察してみたい。
3.原子力における後光現象
核融合反応によって太陽光が生み出され、それが地球に注がれ、躍動的な生命活動の源になっている。しかも何億年も維持されているだけでなく永久に続く。何億年という年数は永続性を意味し、太陽の恩恵を受けるもの(動植物など)にとって善なるものである。自然エネルギーはこの特性を受け継いでおり、背景に太陽からの“後光効果”を持つ。これはプラスの効果を持つ。このような後光効果は自然エネルギーの欠点を覆い隠し、誤った期待が生まれる基になっている。
一方、核分裂反応が生み出す莫大なエネルギーを利用する原子力は、先行的に軍事的手段として原爆が開発され、日本人は被爆国民となった。これが日本人に対し強烈な「負の後光効果」を与えている。強烈なアンカー状態は今でも続いている。
国民は原子力発電所の背後にマイナスの後光を見る。この目はシステム1の域を出ない直観である。人類の進歩はこのような目を否定する歴史であったはずだが、大衆は戦後これを矯正するシステム2を発動させる教育を受けていない。この分野における日本人の文明論は未熟である。
現在の原子力の混迷の元は、朝日、毎日、東京新聞と言ったマスコミが歴史的視点を欠いたままシステム1の土俵で、福島事故を徹底的して心理的アンカーにしたことにある。このアンカーが如何に強力であるか、高市早苗衆議院議員がある集会で「福島事故では一人も死んでいない」と事実を述べただけで、マスコミの袋叩きにあい、遂に涙の謝罪をおこなった、ことからも伺える。この国のマスコミは、いまだにシステム1とシステム2のバランスのとり方も知らない幼稚な段階にあるのだろう。国民を正しい方向に導くという正義心に欠けるからシステム2を発動させる動機が顕在化しない。
おびただしい数の反原発記事や書物、真っ赤な誤解を振りまいて恥じない反原発を売りものにしてきた識者。さらに、国民を煽る運動家や弱小政党の幹部達。彼らの主張は原爆という後光効果に依存しているので、筆者には彼ら判断は誤っているとしかみえない。六か所は膨大な量の放射能を海に垂れ流し、太平洋を汚染続けているという。彼らの主張は全てと言って良いぐらいシステム1的である。彼らは、人々がシステム2に属する定量性を好まないことに乗じて、軽微を重大だと誤解させる。NHKの原発ニュースはほとんど数字を言わず、基準値を伝えない。それが不安を煽り、風評被害に繋がっている。 ( 宮 健三 記)
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