朝日の朝刊に小泉元総理のインタビュー記事が載った。
それによれば「原発再稼動 間違っている」。政府や電力会社が説明する安全性、安いコストに関しては「全部うそ。福島の状況を見ても明らか。原発は環境汚染産業だ」という。 原発が過去30年間この国に貢献してきた事実、それを一番知っているはずの小泉氏が何を血迷ったか、その変節ぶりには開いた口が塞がらない。
1.朝日の反原発主張は砂上の楼閣
いうまでもなく物事には国家レベルの大事なことと少々間違ってもたいしたことがない問題がある。朝日が従軍慰安婦問題で30年間も国民をだましてきたことは国家レベルの許すことができない問題である。国際社会においてどれだけ日本人の尊厳を損ねたか計りしれない。朝日の幹部は慰安婦報道が虚偽だったことを知らなかったはずはない。それにも拘らず、形だけの謝罪で済ませ、後は頬被りしようとしている。その姿勢は到底許せるものではない。朝日のこの国に対する売国行為は慰安婦問題に限らない。靖国問題、北朝鮮拉致問題、歴史問題、東電吉田所長に関する虚偽報道問題、など枚挙に暇はない。原発問題に関しても偏向した報道を一向に止めない。今述べた朝日の売国的意図を持った虚偽報道や為にする報道を思えば、朝日は信用できないといわざるを得ず、朝日が運転再開に反対するなら、再開に踏み切ることこそが正しいとなる。
朝日のある主筆は、第一次安倍内閣を名指しで「安倍の葬式はうちで出す」と豪語していた[小川、約束の日、幻冬舎、2012]。事実そうなって、あの二度と見たくない民主党政権ができ、愚劣な政策を思慮もなく実施し、我が国の国益をどれだけ損なったか、計り知れない。腹案があるといって沖縄の辺野古問題を元の木阿弥にして平然としている外国でバカ呼ばわりされた鳩山由紀夫。原発ゼロに向けた置き土産(規制委員会委員構成、原発ゼロ政策、1mSv/yの除染基準の設置、など)を残し十数兆円の国益を無駄にした菅直人。朝日の主筆の言ったとおり、朝日は自民党を潰してその民主党政権を実現するのに大きな貢献をした。一部のマスコミが言論の自由を隠れ蓑にして、自らの野心に動くとは、そういった新聞に言論の自由とか日刊新聞法などの恩恵を与えてよいものだろうか。
朝日の歴史を調べてみると、この新聞は極めて大事な瞬間に巧妙に変節している。その例が今述べた事例である。 戦後の本格的な謝罪なしの変節もそうだ。朝日の変節は何によるのか。それは朝日が 「目的と手段の倒錯」に鈍感である点に根本的な原因がある。さらに言えば、朝日は 「朝日の都合」 を目的に優先させるから、目的が二の次になり、 「目的と手段の倒錯」 に陥る。その例は戦前戦争を煽り、有為な若者を死に追いやった次の記述に明白である。
太平洋戦争の末期に学徒動員という形で特攻隊を編成し多くの若者が戦線に駆り出された。そのとき、特攻隊員を鼓舞する精神として「美しく死ぬことが日本男子たる者の本懐である」とされ、隊員はそれを信じて海戦に散っていった。それを強烈に煽った代表的新聞が朝日新聞であることは巷の著書に明白である。ここでは「戦争に勝つ」という目的意識は消えうせ、美しく死ぬことが美化され、貴重な命が惜しげもなく投入された。
特攻隊問題では「戦争に勝つという目的に目をつぶり、勇気を持って美しく死ぬという手段が目的になった」ように、朝日は原発問題においても「原発を国民の幸せに活用するといった目的にはまるで目をつぶり、事故の悲惨さを避ける情緒を目的にしている」。朝日のこのような意図を見抜けぬ小泉氏の認知には問題はないのか。「目的と手段の倒錯」に敏感になれないのはどこかに欠陥があるのではないかと疑いたくなる。
朝日の原発に関する倒錯をもっと具体的に指摘すれば、次のようになろう。
朝日は7月30日の「原発再稼働を考える 稼働ゼロの実績を土台に」と題した社説で「・・・4年前の福島第一原発は国家存亡の危機を招き、今も収束していない。原発の怖さを知ったからこそ、不便はあっても原発は止まったままにしたい。・・・」と述べている。反原発主張の実態が「事故の悲惨さを過剰に喧伝する」ことにあるのがよく判る。事故の悲惨さに依拠しなければ彼らの反原発の論拠は砂上の楼閣なのである。
福島原発事故は財産喪失事故であって、一人の死者もなく、放射能による健康障害も皆無であった。長期に亘る避難はしなくてよかったという冷静な意見が今識者によって主張され始めている[一之瀬、「いのちは大切」、そして「いのちは切なし」、東大哲学研究室『論集』33号(2014)]。避難しなければ1600人もの関連死は起きなかった。この種の問題の責任は民主党政権の稚拙な仕切りに帰せられるが、事故を絶好の機会ととらえ、原発が何のためにあるかその目的に目をつぶり、反原発の主張に国民を引きずり込み、読者の歓心を買おうとしてきたのは朝日である。原発を特攻隊問題にさせてはならない。
福島事故は国家存亡の事故では決してない。あの程度の事故で日本の将来が決められてはたまらない。人類は異常気象で滅びても原子炉事故では滅びないといったのは米国の環境学者であるダイアモンド氏である。TMIやチェルノビル事故、それに福島事故は事故の最大値を見せてくれた。ダイアモンド氏は正しいのである。悲惨さを情緒的に見れば、国家存亡と錯覚するかもしれないが、「原子炉の最大事故はこれぐらいである」という見方もできる。国家存亡の事故といいふらす朝日の魂胆がしれようというものである。水素爆発の恐ろしさに度肝を抜かれて周章狼狽している時には、国家存亡といわれてそうだと思う国民の精神状況は理解できるが、その動揺に乗じて反原発の過剰報道にうつつを抜かす報道に正義があるかどうか、事故後4年が経過した現在、国民が冷静に議論すべき時である。
2.小泉氏の錯覚
朝日は小泉氏にインタービューして、「原発再稼働 間違っている」という見出しで、政府や電力会社が説明する安全性、安いコストに関して「全部うそ。福島の状況を見ても明らか。原発は環境汚染産業だ」という記事を掲載している(9月13日朝刊)。 世界では何十年も原発を安全に稼働させ、莫大な経済効果をもたらしている。では、世界に向けて、あなたたちは間違っている、即刻原発を停止しろ、と言えるか、気狂い扱いされるのが落ちだろう。どうして日本だけが運転再開はダメなのか。
九電は川内原発の再稼働によって黒字化し電気料金の値下げを検討するという。国民と産業界が歓迎する。だとすると朝日と小泉氏は国民の敵ということにならないか。
また、環境汚染とは核のゴミのことを指していると思うが、300メートル以下の地下に高レベル廃棄物を埋設するという方策のどこが環境汚染か。使用済みのウランをもとの自然に戻そうとしているのにどこが環境汚染か。総理大臣経験者が言えば、「カラスは白い」という嘘がまかり通るという錯覚が朝日や小泉氏の思い上がりになっていなければ幸いである。これで小泉氏は信用を失った。
私たちは反原発の反日的狙いに敏感である。原発が過去30年間この国に貢献してきた事実に目をつぶる朝日の偽善に立ち向かうことが日本を取り戻すことの一環であると信じている。それを一番知っているはずの小泉氏が、何を血迷ったか、その変節ぶりには開いた口が塞がらない。
同氏は、原発はクリーンでないという。クリーンかどうかは手入れの仕方による。原発を訪問すれば、原発がどれだけ清潔か、すぐに判ること。核のゴミはクリーンでないというのであれば、便所だって本来清潔でない。それを巧みな処理で不潔感を与えないようにしている人間の創意工夫を知るべきである。高レベル廃棄物を高度な技術でガラス固化している。それをクリーンでないなどとは頭の程度が疑われる。また、同氏は、「日本が『原発ゼロでいく』と決めれば、米国は必ず認める。同盟国であり、民主主義の国だから」と述べている。なんという思慮の無さか。彼の反原発の論理はこの程度なのである。この主張は元総理大臣経験者という虚構を利用したい朝日にしか通用しまい。この程度の総理大臣とは愛想が尽きる。「民主主義の国だから、米国は認める」だって。バカも休み休み言え、といいたくなる。(詳細は画像をクリック)
3.小泉氏と朝日に言いたい
東電は、柏崎原発6号機と7号機が運転再開すれば年間3300億円の黒字に、関電は高浜3,4号機が再開されれば1500億円の黒字に、なると公表している。九電は川内1,2号機の運転再開で黒字化するという。原発に経済性があるという直截的なエビデンスである。逆に、運転再開を妨害してきた朝日がどれだけ国民に損害を与えたか、中小企業がどれだけ倒産し、転業し、海外移転を余儀なくされたか、朝日は特別に免責か。日本一といわれる朝日の給料には頬被りして、電力社員の給料は引きずり下ろそうとする。株式を公開しないで済む日刊新聞法は日本の将来のため可及的速やかに改正されなければなるまい。
原発は何のためにあるか。日本の将来のためにある。これが一時も忘れてはならない命題である。科学・技術を知る者は原発の安全性は創意工夫でいくらでも高められることを知っている。それに目をつぶり「目的と手段の倒錯」に陥っている人達だけが事故の悲惨さだけで原発を止めた方が良いという。国民の安寧と繁栄が目的である。事故の防止は必要条件であって目的ではない。憲法9条を目的にすれば国の安全と独立は脅威にさらされるだけである。倒錯が直ちに“幻想”に直結することは避けたい。
原子力によってもたらされる総合的な便益の実現こそ最大の目的である。この国が世界に誇り高い国として、技術・科学を通して貢献していくこと、高い志を持つことこそ、私達が永遠に守らなければならない崇高な“目的”なのである。(K.M.記)
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それによれば「原発再稼動 間違っている」。政府や電力会社が説明する安全性、安いコストに関しては「全部うそ。福島の状況を見ても明らか。原発は環境汚染産業だ」という。 原発が過去30年間この国に貢献してきた事実、それを一番知っているはずの小泉氏が何を血迷ったか、その変節ぶりには開いた口が塞がらない。
1.朝日の反原発主張は砂上の楼閣
いうまでもなく物事には国家レベルの大事なことと少々間違ってもたいしたことがない問題がある。朝日が従軍慰安婦問題で30年間も国民をだましてきたことは国家レベルの許すことができない問題である。国際社会においてどれだけ日本人の尊厳を損ねたか計りしれない。朝日の幹部は慰安婦報道が虚偽だったことを知らなかったはずはない。それにも拘らず、形だけの謝罪で済ませ、後は頬被りしようとしている。その姿勢は到底許せるものではない。朝日のこの国に対する売国行為は慰安婦問題に限らない。靖国問題、北朝鮮拉致問題、歴史問題、東電吉田所長に関する虚偽報道問題、など枚挙に暇はない。原発問題に関しても偏向した報道を一向に止めない。今述べた朝日の売国的意図を持った虚偽報道や為にする報道を思えば、朝日は信用できないといわざるを得ず、朝日が運転再開に反対するなら、再開に踏み切ることこそが正しいとなる。
朝日のある主筆は、第一次安倍内閣を名指しで「安倍の葬式はうちで出す」と豪語していた[小川、約束の日、幻冬舎、2012]。事実そうなって、あの二度と見たくない民主党政権ができ、愚劣な政策を思慮もなく実施し、我が国の国益をどれだけ損なったか、計り知れない。腹案があるといって沖縄の辺野古問題を元の木阿弥にして平然としている外国でバカ呼ばわりされた鳩山由紀夫。原発ゼロに向けた置き土産(規制委員会委員構成、原発ゼロ政策、1mSv/yの除染基準の設置、など)を残し十数兆円の国益を無駄にした菅直人。朝日の主筆の言ったとおり、朝日は自民党を潰してその民主党政権を実現するのに大きな貢献をした。一部のマスコミが言論の自由を隠れ蓑にして、自らの野心に動くとは、そういった新聞に言論の自由とか日刊新聞法などの恩恵を与えてよいものだろうか。
朝日の歴史を調べてみると、この新聞は極めて大事な瞬間に巧妙に変節している。その例が今述べた事例である。 戦後の本格的な謝罪なしの変節もそうだ。朝日の変節は何によるのか。それは朝日が 「目的と手段の倒錯」に鈍感である点に根本的な原因がある。さらに言えば、朝日は 「朝日の都合」 を目的に優先させるから、目的が二の次になり、 「目的と手段の倒錯」 に陥る。その例は戦前戦争を煽り、有為な若者を死に追いやった次の記述に明白である。
太平洋戦争の末期に学徒動員という形で特攻隊を編成し多くの若者が戦線に駆り出された。そのとき、特攻隊員を鼓舞する精神として「美しく死ぬことが日本男子たる者の本懐である」とされ、隊員はそれを信じて海戦に散っていった。それを強烈に煽った代表的新聞が朝日新聞であることは巷の著書に明白である。ここでは「戦争に勝つ」という目的意識は消えうせ、美しく死ぬことが美化され、貴重な命が惜しげもなく投入された。
特攻隊問題では「戦争に勝つという目的に目をつぶり、勇気を持って美しく死ぬという手段が目的になった」ように、朝日は原発問題においても「原発を国民の幸せに活用するといった目的にはまるで目をつぶり、事故の悲惨さを避ける情緒を目的にしている」。朝日のこのような意図を見抜けぬ小泉氏の認知には問題はないのか。「目的と手段の倒錯」に敏感になれないのはどこかに欠陥があるのではないかと疑いたくなる。
朝日の原発に関する倒錯をもっと具体的に指摘すれば、次のようになろう。
朝日は7月30日の「原発再稼働を考える 稼働ゼロの実績を土台に」と題した社説で「・・・4年前の福島第一原発は国家存亡の危機を招き、今も収束していない。原発の怖さを知ったからこそ、不便はあっても原発は止まったままにしたい。・・・」と述べている。反原発主張の実態が「事故の悲惨さを過剰に喧伝する」ことにあるのがよく判る。事故の悲惨さに依拠しなければ彼らの反原発の論拠は砂上の楼閣なのである。
福島原発事故は財産喪失事故であって、一人の死者もなく、放射能による健康障害も皆無であった。長期に亘る避難はしなくてよかったという冷静な意見が今識者によって主張され始めている[一之瀬、「いのちは大切」、そして「いのちは切なし」、東大哲学研究室『論集』33号(2014)]。避難しなければ1600人もの関連死は起きなかった。この種の問題の責任は民主党政権の稚拙な仕切りに帰せられるが、事故を絶好の機会ととらえ、原発が何のためにあるかその目的に目をつぶり、反原発の主張に国民を引きずり込み、読者の歓心を買おうとしてきたのは朝日である。原発を特攻隊問題にさせてはならない。
福島事故は国家存亡の事故では決してない。あの程度の事故で日本の将来が決められてはたまらない。人類は異常気象で滅びても原子炉事故では滅びないといったのは米国の環境学者であるダイアモンド氏である。TMIやチェルノビル事故、それに福島事故は事故の最大値を見せてくれた。ダイアモンド氏は正しいのである。悲惨さを情緒的に見れば、国家存亡と錯覚するかもしれないが、「原子炉の最大事故はこれぐらいである」という見方もできる。国家存亡の事故といいふらす朝日の魂胆がしれようというものである。水素爆発の恐ろしさに度肝を抜かれて周章狼狽している時には、国家存亡といわれてそうだと思う国民の精神状況は理解できるが、その動揺に乗じて反原発の過剰報道にうつつを抜かす報道に正義があるかどうか、事故後4年が経過した現在、国民が冷静に議論すべき時である。
2.小泉氏の錯覚
朝日は小泉氏にインタービューして、「原発再稼働 間違っている」という見出しで、政府や電力会社が説明する安全性、安いコストに関して「全部うそ。福島の状況を見ても明らか。原発は環境汚染産業だ」という記事を掲載している(9月13日朝刊)。 世界では何十年も原発を安全に稼働させ、莫大な経済効果をもたらしている。では、世界に向けて、あなたたちは間違っている、即刻原発を停止しろ、と言えるか、気狂い扱いされるのが落ちだろう。どうして日本だけが運転再開はダメなのか。
九電は川内原発の再稼働によって黒字化し電気料金の値下げを検討するという。国民と産業界が歓迎する。だとすると朝日と小泉氏は国民の敵ということにならないか。
また、環境汚染とは核のゴミのことを指していると思うが、300メートル以下の地下に高レベル廃棄物を埋設するという方策のどこが環境汚染か。使用済みのウランをもとの自然に戻そうとしているのにどこが環境汚染か。総理大臣経験者が言えば、「カラスは白い」という嘘がまかり通るという錯覚が朝日や小泉氏の思い上がりになっていなければ幸いである。これで小泉氏は信用を失った。
私たちは反原発の反日的狙いに敏感である。原発が過去30年間この国に貢献してきた事実に目をつぶる朝日の偽善に立ち向かうことが日本を取り戻すことの一環であると信じている。それを一番知っているはずの小泉氏が、何を血迷ったか、その変節ぶりには開いた口が塞がらない。
同氏は、原発はクリーンでないという。クリーンかどうかは手入れの仕方による。原発を訪問すれば、原発がどれだけ清潔か、すぐに判ること。核のゴミはクリーンでないというのであれば、便所だって本来清潔でない。それを巧みな処理で不潔感を与えないようにしている人間の創意工夫を知るべきである。高レベル廃棄物を高度な技術でガラス固化している。それをクリーンでないなどとは頭の程度が疑われる。また、同氏は、「日本が『原発ゼロでいく』と決めれば、米国は必ず認める。同盟国であり、民主主義の国だから」と述べている。なんという思慮の無さか。彼の反原発の論理はこの程度なのである。この主張は元総理大臣経験者という虚構を利用したい朝日にしか通用しまい。この程度の総理大臣とは愛想が尽きる。「民主主義の国だから、米国は認める」だって。バカも休み休み言え、といいたくなる。(詳細は画像をクリック)
3.小泉氏と朝日に言いたい
東電は、柏崎原発6号機と7号機が運転再開すれば年間3300億円の黒字に、関電は高浜3,4号機が再開されれば1500億円の黒字に、なると公表している。九電は川内1,2号機の運転再開で黒字化するという。原発に経済性があるという直截的なエビデンスである。逆に、運転再開を妨害してきた朝日がどれだけ国民に損害を与えたか、中小企業がどれだけ倒産し、転業し、海外移転を余儀なくされたか、朝日は特別に免責か。日本一といわれる朝日の給料には頬被りして、電力社員の給料は引きずり下ろそうとする。株式を公開しないで済む日刊新聞法は日本の将来のため可及的速やかに改正されなければなるまい。
原発は何のためにあるか。日本の将来のためにある。これが一時も忘れてはならない命題である。科学・技術を知る者は原発の安全性は創意工夫でいくらでも高められることを知っている。それに目をつぶり「目的と手段の倒錯」に陥っている人達だけが事故の悲惨さだけで原発を止めた方が良いという。国民の安寧と繁栄が目的である。事故の防止は必要条件であって目的ではない。憲法9条を目的にすれば国の安全と独立は脅威にさらされるだけである。倒錯が直ちに“幻想”に直結することは避けたい。
原子力によってもたらされる総合的な便益の実現こそ最大の目的である。この国が世界に誇り高い国として、技術・科学を通して貢献していくこと、高い志を持つことこそ、私達が永遠に守らなければならない崇高な“目的”なのである。(K.M.記)
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