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SEJ 日本のエネルギーを考える会

112号 コラム 黙ってはいられない;ふざけた判決、これでは法治国家の体をなしていない ―高浜原発3、4号運転差止仮処分命令申し立ての判決―


カテゴリ:  原子力安全    2015-6-2 5:50   閲覧 (2340)

2015年4月14日に下された高浜原発3,4号運転差止仮処分申し立ての判決文を読んで、一般の人々はどんな印象を持っただろうか。読売新聞では”規制基準否定した不合理判断“(4月15日付)と評した。産経記者は”「個性」の強すぎる判決“裁判官の強いメッセージを感じた、と述べています。(5月27日付)
IOJでは、この問題をコラム“黙ってはいられない”で取り上げました。特に論拠として「異常その三」で、平成4年10月29日に最高裁で出された伊方発電所の設置許可に関わる判決文を一部引用しました。ぜひ皆さんも一緒に考えてみてください。





 2015年4月14日に下された題記差止訴訟の判決文に対して、読売新聞は不合理判断と断じた。
一般の人々はどの様な印象を持つのであろうか。ただひたすら異常さのみを感じる人も多いのではないだろうか。
この様な異常な判決を下して平然としている裁判官の存在のせいで原発反対派が勢いづき、今度は川内原発で差止が却下されたことに対して即時抗告をするという。既にこの反原発に凝り固まった樋口英明裁判長は他県に異動されているが、この様な反日活動家に迎合する裁判官は徹底的に糾弾すべきである。


異常その一:規制委の存在を否定した樋口裁判長

 原子力安全は行政機関である原子力規制委員会(以下「規制委」という)が行政として事業者を規制して、その安全を確保することになっている。その規制の根拠となるのは原子力基本法や原子炉等規制法であり、これらの法律は立法府である国会で定めている。司法は法律に則った規制が行われない場合には国民の訴えにより法律違反か否かを判断することになるのである。


 ところが、高浜原発の仮処分の決定は、規制の根拠となる安全基準が間違っているとの判断を示した。今回の判決は行政裁判でもないのに、科学的な知識も判断力も持ち合わせていない裁判官が、他の行政機関が定めた安全基準が十分でないとの判断を下したわけで、越権行為というか、非常識というか、評価のしようのない愚劣な判決と言えよう。

 そもそも、今回判決で「安全性確保には不十分である」と樋口裁判長以下が断じた安全基準は、福島事故を受けて設置された規制委が日本の原子力関係者の総力を挙げて3年以上の歳月を費やして完成させた、世界で最も厳しいと言われている安全基準なのである。それをわずか数カ月の裁判で、原子力技術について十分な知識も理解力もない裁判官たちが不十分であると判断出来るはずが無いのである。


 規制委の田中委員長もこの判決後に、「この裁判の判決文を読む限りにおいては、事実誤認、誤ったことがいっぱい書いてあります」と述べており、この裁判官の判断が不当であることを指摘している。更におかしいと思えるのは、今回訴訟の債務者となっている関西電力にとっては、安全基準を遵守することが発電所運転の条件であり、この安全基準が不十分であるとの指摘を債務者が申し立てられても、関西電力としては返答のしようもないということがなぜ理解されないのか、不思議な判決である。

 異常その三でも述べているが、平成4年10月29日の伊方裁判の最高裁判決では、裁判官が科学技術的な判断をすべきではないと非常に明確に述べているにも拘らず、そのような判例については知らぬ顔をして、断定的に安全基準を不十分と決めつけている。反原発派を支持する為には手段を選ばないという愚劣な裁判官たちと言えよう。


異常その二:不適切な新聞記事の引用

 

 新聞記者の取材に応じて報道された入倉教授の発言を原告側が引用したこと自体おかしな行為であるが、樋口裁判長以下は入倉教授に法廷での証言を求めることなく、原告の指摘通りに判決文に引用していることは、裁判の信ぴょう性を根底から疑わせる非常識な振る舞いと言うべきであろう。新聞報道はしばしば新聞社の編集方針に合わせて適宜編集されており、その内容が裁判という公正さが求められている場での証拠になどなるはずのないことは常識である。とりわけ、入倉教授自身が判決後に「全くの事実誤認。決定文にある発言は、新聞記事をもとに原告が曲解して書いているものが引用されている。正しい理解の為に正確に引用して貰えず非常に残念」と述べており、証拠能力が無いことは明白である。樋口裁判長が裁判官として適性が無いこともこの振る舞いをみれば明白であろう。


異常その三:最高裁判決の意図的誤引用

 異常その一と二は、単に理科系の知見が無い人間が不適切な判断をしたと云う程度の問題(大きな問題であることに変わりはないが)であるが、その三は樋口裁判長にとっては致命的な誤りであろう。何故ならば、彼の本来の職域に属する最高裁判決を意図的に誤って引用するという、悪意を秘めた異常判断だからである。
 ここで、平成4年10月29日に最高裁で出された伊方発電所の設置許可にかかわる判決を一部引用する。この判決は自由に読むことが出来るので、ここでの引用の精度を確認したい方は是非全文を読んで頂きたい。

『当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすそれがあることにかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするため、原子炉設置許可の段階で、原子炉を設置しようとする者の右技術的能力並びに申請に係る原子炉施設の位置、構造及び設備の安全性につき、科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせることにあるものと解される。 (中略) 右のような原子炉施設の安全性に関する審査の特質を考慮し、右各号所定の基準の適合性については、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねる趣旨と解するのが相当である。』

 要するに、伊方の裁判当時の原子力委員会、今ではそれが規制委に変わっているが、その科学的な知見を尊重して行う総理大臣の判断にゆだねるべきであり、一介の偏向した地裁の裁判長がする様な判断ではないと書いてあると理解するのが妥当だと思うのであるが、樋口裁判長によると最高裁判決の解釈は「災害が万が一にも起こらないようにするため」の後の部分を勝手に変更して、こうなってしまう。
「そうすると、新規制基準に求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こす恐れが万が一にもないといえるような厳格な内容を備えていることであると解すべきこととなる。しかるに、新規制基準は上記の通り、緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである。」

 この様な解釈がどこから出て来るのか、呆気にとられるばかりである。悪意に満ちた誤引用を平気でする裁判長が地裁といえども存在が許されている日本の司法を心から憂慮せざるを得ない。また、2名の陪席裁判官も、この判決に意見を付けることが無かったということは、この2名は仕事をしていない、あるいは陪席裁判官など居てもいなくても同じと考えるべきなのだろう。この裁判の判例も今後の司法学生の学習の対象になるかと思うと、暗澹たる気分となる。無駄な学習時間を切り捨てる良い方法は無いものか。
 今回の異常な判決を下した樋口英明裁判長及びまともな意見を付すこともしなかった二人の陪席裁判官原島麻由、三宅由子の名を決して忘れず、今後の裁判での挙動を注視していくべきである。 (伊藤英二 記)

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112号 コラム 黙ってはいられない;ふざけた判決、これでは法治国家の体をなしていない ―高浜原発3、4号運転差止仮処分命令申し立ての判決―


カテゴリ:  原子力安全    2015-6-2 5:50   閲覧 (2340)

2015年4月14日に下された高浜原発3,4号運転差止仮処分申し立ての判決文を読んで、一般の人々はどんな印象を持っただろうか。読売新聞では”規制基準否定した不合理判断“(4月15日付)と評した。産経記者は”「個性」の強すぎる判決“裁判官の強いメッセージを感じた、と述べています。(5月27日付)
IOJでは、この問題をコラム“黙ってはいられない”で取り上げました。特に論拠として「異常その三」で、平成4年10月29日に最高裁で出された伊方発電所の設置許可に関わる判決文を一部引用しました。ぜひ皆さんも一緒に考えてみてください。





 2015年4月14日に下された題記差止訴訟の判決文に対して、読売新聞は不合理判断と断じた。
一般の人々はどの様な印象を持つのであろうか。ただひたすら異常さのみを感じる人も多いのではないだろうか。
この様な異常な判決を下して平然としている裁判官の存在のせいで原発反対派が勢いづき、今度は川内原発で差止が却下されたことに対して即時抗告をするという。既にこの反原発に凝り固まった樋口英明裁判長は他県に異動されているが、この様な反日活動家に迎合する裁判官は徹底的に糾弾すべきである。


異常その一:規制委の存在を否定した樋口裁判長

 原子力安全は行政機関である原子力規制委員会(以下「規制委」という)が行政として事業者を規制して、その安全を確保することになっている。その規制の根拠となるのは原子力基本法や原子炉等規制法であり、これらの法律は立法府である国会で定めている。司法は法律に則った規制が行われない場合には国民の訴えにより法律違反か否かを判断することになるのである。


 ところが、高浜原発の仮処分の決定は、規制の根拠となる安全基準が間違っているとの判断を示した。今回の判決は行政裁判でもないのに、科学的な知識も判断力も持ち合わせていない裁判官が、他の行政機関が定めた安全基準が十分でないとの判断を下したわけで、越権行為というか、非常識というか、評価のしようのない愚劣な判決と言えよう。

 そもそも、今回判決で「安全性確保には不十分である」と樋口裁判長以下が断じた安全基準は、福島事故を受けて設置された規制委が日本の原子力関係者の総力を挙げて3年以上の歳月を費やして完成させた、世界で最も厳しいと言われている安全基準なのである。それをわずか数カ月の裁判で、原子力技術について十分な知識も理解力もない裁判官たちが不十分であると判断出来るはずが無いのである。


 規制委の田中委員長もこの判決後に、「この裁判の判決文を読む限りにおいては、事実誤認、誤ったことがいっぱい書いてあります」と述べており、この裁判官の判断が不当であることを指摘している。更におかしいと思えるのは、今回訴訟の債務者となっている関西電力にとっては、安全基準を遵守することが発電所運転の条件であり、この安全基準が不十分であるとの指摘を債務者が申し立てられても、関西電力としては返答のしようもないということがなぜ理解されないのか、不思議な判決である。

 異常その三でも述べているが、平成4年10月29日の伊方裁判の最高裁判決では、裁判官が科学技術的な判断をすべきではないと非常に明確に述べているにも拘らず、そのような判例については知らぬ顔をして、断定的に安全基準を不十分と決めつけている。反原発派を支持する為には手段を選ばないという愚劣な裁判官たちと言えよう。


異常その二:不適切な新聞記事の引用

 

 新聞記者の取材に応じて報道された入倉教授の発言を原告側が引用したこと自体おかしな行為であるが、樋口裁判長以下は入倉教授に法廷での証言を求めることなく、原告の指摘通りに判決文に引用していることは、裁判の信ぴょう性を根底から疑わせる非常識な振る舞いと言うべきであろう。新聞報道はしばしば新聞社の編集方針に合わせて適宜編集されており、その内容が裁判という公正さが求められている場での証拠になどなるはずのないことは常識である。とりわけ、入倉教授自身が判決後に「全くの事実誤認。決定文にある発言は、新聞記事をもとに原告が曲解して書いているものが引用されている。正しい理解の為に正確に引用して貰えず非常に残念」と述べており、証拠能力が無いことは明白である。樋口裁判長が裁判官として適性が無いこともこの振る舞いをみれば明白であろう。


異常その三:最高裁判決の意図的誤引用

 異常その一と二は、単に理科系の知見が無い人間が不適切な判断をしたと云う程度の問題(大きな問題であることに変わりはないが)であるが、その三は樋口裁判長にとっては致命的な誤りであろう。何故ならば、彼の本来の職域に属する最高裁判決を意図的に誤って引用するという、悪意を秘めた異常判断だからである。
 ここで、平成4年10月29日に最高裁で出された伊方発電所の設置許可にかかわる判決を一部引用する。この判決は自由に読むことが出来るので、ここでの引用の精度を確認したい方は是非全文を読んで頂きたい。

『当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすそれがあることにかんがみ、右災害が万が一にも起こらないようにするため、原子炉設置許可の段階で、原子炉を設置しようとする者の右技術的能力並びに申請に係る原子炉施設の位置、構造及び設備の安全性につき、科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせることにあるものと解される。 (中略) 右のような原子炉施設の安全性に関する審査の特質を考慮し、右各号所定の基準の適合性については、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断にゆだねる趣旨と解するのが相当である。』

 要するに、伊方の裁判当時の原子力委員会、今ではそれが規制委に変わっているが、その科学的な知見を尊重して行う総理大臣の判断にゆだねるべきであり、一介の偏向した地裁の裁判長がする様な判断ではないと書いてあると理解するのが妥当だと思うのであるが、樋口裁判長によると最高裁判決の解釈は「災害が万が一にも起こらないようにするため」の後の部分を勝手に変更して、こうなってしまう。
「そうすると、新規制基準に求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こす恐れが万が一にもないといえるような厳格な内容を備えていることであると解すべきこととなる。しかるに、新規制基準は上記の通り、緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである。」

 この様な解釈がどこから出て来るのか、呆気にとられるばかりである。悪意に満ちた誤引用を平気でする裁判長が地裁といえども存在が許されている日本の司法を心から憂慮せざるを得ない。また、2名の陪席裁判官も、この判決に意見を付けることが無かったということは、この2名は仕事をしていない、あるいは陪席裁判官など居てもいなくても同じと考えるべきなのだろう。この裁判の判例も今後の司法学生の学習の対象になるかと思うと、暗澹たる気分となる。無駄な学習時間を切り捨てる良い方法は無いものか。
 今回の異常な判決を下した樋口英明裁判長及びまともな意見を付すこともしなかった二人の陪席裁判官原島麻由、三宅由子の名を決して忘れず、今後の裁判での挙動を注視していくべきである。 (伊藤英二 記)

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