原子力船「むつ」は放射線漏れがあって受け入れ大湊港の反対があったが、長崎県佐世保市の理解を得て修理し実験航海を行いその役目を果たしたことはあまり知られていない。地球温暖化対策で商用の原子力船の時代が来ようとしており、今こそ、非軍事で開発した日本の技術を発展させ役立てたい。
温暖化対策として化石燃料の削減に取り組もうとしている。輸送分野では石油の代わりに原子力や再生可能エネルギーで供給される電力を利用する電気自動車(EV)の普及を目指しているが、海上輸送の石油の代替は現状の蓄電器では難しく、原子力の活用が期待される。
原子力船は今は軍事用が中心ではあるが、140隻以上の原子力推進船と12,000運転炉年の経験を得ている。 このような背景で英国のロイドや米国のGen4 Energy Inc.などがスエズ運河を通過できる15万トン級原子力タンカーの概念設計承認を得ようとしている。(注1)
我が国では、原子力船「むつ」(以下「むつ」)は昭和49年に放射線漏れが発生し、以降マスコミや地元の反対運動等様々な紆余曲折を経て、平成3年に地球2周半に相当する実験航海により原子力船として貴重なデータを取得してその任を終えた。これらの経験と原子力推進技術は新しい原子力商船の新時代に十分役立つものであろう。
以下「むつ」建造からこれを発展させた「海洋観測船 「みらい」の概要を紹介する。
1.原子力船「むつ」の建造
原子力船開発は昭和32年に原子力委員会内の原子力船専門部会設置まで遡る。
昭和37年の第二次部会答申で原子動力実験船の仕様が答申され、翌昭和38年に事業主体として原子力船開発事業団(以下事業団)が設立された。昭和42年の基本計画改定(可能な限り国産技術とする等)に基づき同年11月に船体を石川島播磨重工(IHI)、原子炉を三菱原子力工業と契約締結し、昭和45年に船体部が完成、昭和47年の燃料装荷をもって「むつ」の建造は終了した。
2.放射線漏れから新定係港建設へ
出力上昇試験は当初大湊港で実施の計画であったが、地元漁協等の反対で太平洋上の公海で実施となった。昭和49年8月25日から開始された臨界試験では所要のデータが取得されたものの、9月1日出力1.4%時に格納容器頂部等から0.2mR/hの放射線漏れが発生し、試験は中断された。この放射線漏れで大湊母港への帰港となるが 被害を恐れた地元漁協等の反対で帰港できなくなり、長期間の洋上漂流となった。その後原因究明と放射線漏れ対策のため、総理府に検討委員会が設けられ、対策が決定したのを受けて、政府は佐世保市へ修理港受け入れ要請をした。長崎県知事は原子炉封印方式を提案、政府は「むつ」関係閣僚会議において所要の総点検・改修が行い得るとして、次の措置を条件に再要請を行った。
(ア)圧力容器上蓋を撤去しないで総点検・改修を行う
(イ)回航に先立ち、長崎県知事に原子炉運転の鍵と制御棒駆動盤の鍵を引き渡し、知事は佐世保での総点検・改修期間中これを管理・保管する
これに対し長崎県知事と佐世保市長は昭和53年7月「むつ」を受け入る旨回答し、佐世保港における修理に関する合意協定書が締結された。
3.出力上昇試験の再開から実験航海へ
「むつ」は昭和63年の関根浜港への回航以降、試運転再開に向けて原子炉容器蓋解放点検(燃料点検等)・船体点検などの点検・試験が実施され、平成2年3月からの出力上昇試験と海上試運転を経て、平成3年に科学技術庁から使用前検査合格証及び運輸省から船舶検査証書が交付され、「むつ」は我が国の原子力第一船として完成し、実験航海に出られるようになった。
4.実験航海
実験航海では原子動力による運航実績を蓄積する他、船舶が遭遇する気象・海象・操船・操機等を考慮し、これらと原子炉パラメータとの相互関係を究明する為の洋上測定の実験計画が立てられた。
この計画を達成するため、静穏海域(波高2m以下)、通常海域(波高2〜4m程度)、荒海海域(波高5m程度以上)及び高温海域(海水温28度以上)に分けて平成3年一年間に4回の実験航海(図)を無事故で実施した。
実験航海で得られた成果は次の通り。
● 原子炉出力変動は波高では1%と少なく、操船・操機の方が10%と大きいことが確認された。
● 全航海88,000km(地球を2周半に相当)中原子動力で82,000km、ウラン235消費量は約4.2kg、荒海航海では最大横揺れ30度、最大波高10mを体験した。
● 通常の船舶として十分実用になる事が実証された
当時「むつ」機関長渡辺卓嗣氏(注2)は「あの操縦桿を握ったときの力強い加速・減速の感触は忘れない」と語った。
5.海洋地球研究船「みらい」へ
原子力推進実験船としての役割を終えた「むつ」は、平成5年関根浜港で使用済燃料を取り出した後、原子炉室が切断され保管建屋で保管・一般展示中である。
平成7年「むつ」は海洋科学技術センターに譲渡され、船体前部はIHIで、船体後部は三菱重工で改造後翌年結合され、進水式後海洋地球研究船「みらい」と命名され生まれ変わった。
「みらい」は気象・海洋の様々な観測を行う設備を備えると共に、優れた耐氷性と航行性能を有して北極低気圧の詳細な構造を調べる手段として活用された。
平成14年には、約200日で多角的な海洋観察をしつつ東オーストラリアを出発してほぼ赤道上を太平洋・大西洋・インド洋と一気に横断して西オーストラリアまで戻り世界の研究者を驚嘆させたが、平成29年10月にその任を終えた。
「みらい」の後継船として砕氷機能を有する北極観測船を建造すべく、文科省は平成30年度の概算要求に織りみ5年かけて設計・建造の予定であり、これが就役した後に「みらい」は引退予定である。
6.将来の原子力船の用途
世界原子力協会は将来の商用の原子力船の用途として以下の可能性を挙げている。(注1)
● 専用の港間を往復する大型バラ積船(例 中国と南アメリカ、北西オーストラリア間):100MWの原子力推力
● 小都市間を巡航するクルーズライナー:電気出力70Mweのベースロードとバッテリーへの充電機能を有する原子炉と、ピーク需要に対応できる小規模ディーゼルエンジンを備える(現在最大のクルーズ船は−−オアシス級 100,000t排水量−約100MW総出力、60MW推進力)
● 外洋を航行する従来船を曳航するタグボート
● スピードを重視する大型バラ積船
8.おわりに
米、英、仏、ロシア、中国などは軍事用に原子力船を用いており、長い運転経験を持っている。一方、日本は非軍事用の「むつ」を建造して運転経験のある、原子力船の平和利用を実現した数少ない国の一つである。
日本は、海洋国家として海外との貿易に原子力船を活用すると共に、国内においても、遠方の生産地から大消費地への大量輸送に原子力船を活用するなどして地方の活性化につなげられるように原子力船の実用化に早期に踏み切るべきではないか。
また、やがては主力になるであろう北極ルートを確保するための原子力砕氷船を建造できれば、世界各国の港を訪問しそれぞれの国民と親交を深める事で、我が国の原子力技術の高さを示す好機になると確信する 。
注1世界原子力協会 NuclearPowerShips (2017年改定)http://www.world-nuclear.org/information-library/non-power-nuclear-applications/transport/nuclear-powered-ships.asp
注2 渡辺卓嗣氏 1957年運輸省航海訓練所入所、1964年事業団に機関担当技師として出向、1972年「むつ」一等機関士、1987年機関長、1993年航海訓練所次長、1996年むつ科学技術館副館長 2017年末逝去
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