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146号 会員の声  朝日新聞のコラム「事実を利用するメディア」から考えること−報道の在り方が大きな問題−


カテゴリ:  会員の声    2017-8-23 1:10   閲覧 (1563)
はじめに
8月4日付の朝日新聞に京都大学の佐伯名誉教授がコラム(異論のススメ)に、⦅森友・加計問題めぐる報道 「事実」を利用するメディア⦆と題する文章を寄せています。内容はまさに今の日本の状況を喝破しており、「仰る通り」と拍手を送りたくなります。しかし、朝日新聞がこのような自己批判とも取れる文章を掲載したことが何を意味するのか考えてみると----
何か気持ち悪い疑念が湧いてきます。佐伯氏の文章に触発されて浮かんできた思いを以下に述べていきます。
1.政治改革後の混迷と新聞の責任
 1990年代の政治改革後に、私達は長年続いてきた官僚主導の自民党政治に辟易していてた事と、二大政党制を日本に実現させたいとの大きな思いから相まって、2003年以降徐々に勢力を拡大し自民党政治に批判してきた民主党(当時)への期待を高め、2009年にはついに政権を任せるという決断をしました。今から考えると全く浅はかだったとしか言いようがありませんが、朝日をはじめ多くのメディアが支持した当時のこの風潮の中で踊らされてしまった自分を責めることしかできません。2012年の総選挙で民主党が大敗したことを見れば、民主党の政権担当能力の欠落に日本国民の多くが気付くのにはそれほど時間は掛からなかったことが分かります。
 ここで思い至るのは、民主党はその無能が明らかになった結果、選挙で大敗し下野することになったのですが、朝日新聞はどうだったかということです。新聞社は、日刊新聞法と定期購読者への宅配制度とに守られて、いかに好い加減な報道をしようとも責任を取ることなど有り得ず、無能であろうと偏向していようと平然と居座り、世論あるいは支持率という訳の分からない怪物を飼い慣らし続けています。「安倍の葬式はウチが出す」と豪語した論説委員の顔などが浮かんできます。




2.森友・加計問題の扱いとその意味
 佐伯氏も述べていますが、この二つの問題は国政に関わる重大事件などではなく、ただのスキャンダルに過ぎません。そのような問題を針小棒大に取り上げて半年近くにもわたって大騒ぎをするマスコミの体質が疑われます。佐伯氏はもマスコミが「事実」を錦の御旗にしているが、実は「推測」がその根拠となっていると指摘しています。加計問題の当初「印象操作」という言葉が話題となりましたが、マスコミは都合に合う事だけをあたかも事実であるかのように報道し、都合に合わないことは隠蔽して報道しません。これこそ、朝日の最も得意とする世論誘導、世論操作の手口なのです。佐伯氏は大人ですからマスコミが事実を隠蔽しているなどとは書きませんが、「事実」をめぐる検証の体をとりながら、実際には「疑惑の安倍政権」とのイメージを醸成する一種の「世論」操作のように見えると述べています。私達はこのような意図的な反政府の世論操作に決して振り回されてはならないと思います。


3.民主政治は言論を通じた権力闘争である


 言論の自由には、報道の自由があり、その中には報道しない自由もあるとほとんどのマスコミ人は考えています。実際問題として、世界中でそして日本中で起こっている事件をすべて報道することは不可能ですから、取捨選択が必要になります。その取捨選択の過程で、何が重要で何が些細な出来事であるのかを公正な目で判断することがマスコミにも求められています。マスコミが公正であるよう努力すれば、日本の政治風土も随分改善するのではないかと思われます。現在の日本を取り巻く国際環境は危機的状況にありますが、視聴率や購読者数争いに勝つために国民に快い事ばかりを取り上げる、あるいは野次馬的な話題に終始するような記事はもう読みたくありません。本当の意味での言論を重視し、国民が知るべきことを知り、浮わついた推測記事などが排除されるようになれば、日本の民主政治も正しい権力闘争に変わっていけるかもしれません


おわりに
今回のコラムを読んで、一部の人は朝日新聞にも自浄能力があり、これまでの報道姿勢を改めようと考えているのではないかと好意的に受け止めています。本当でしょうか。これまでに朝日新聞が意図的に垂れ流してきた虚偽報道に代表される報道姿勢が、一人の智者の提言で変わるとは到底思えません。それよりは、これまでに何回もやってきた「アリバイ作り」と考える方が妥当でしょう。「朝日は公正な新聞です。異論もきちんと載せています。偏向していません。」後日批判を受けそうになった場合に予め備え、このように言い訳できるようにこのような自分たちの立場を否定する記事を書いておくという、卑劣な姿勢の表れと解釈する方が余程正しく思われます。もしも本当に自浄能力があるのならば、今後の報道姿勢に顕著に表れるはずです。まったく期待できませんが、これからの報道姿勢に注目しましょう。

詳しくは8月4日付の佐伯氏の文章をお読みいただきたいのですが、その骨子はおおむね以下のようなものです。(赤ペン親父 記)


佐伯啓思著 朝日新聞(異論のススメ)森友・加計問題めぐる報道 「事実」を利用するメディア
詳しくは8月4日付の佐伯氏の文章をお読みいただきたいのですが、その骨子はおおむね次のようなものです。
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日本の政界を見るに、野党が弱体であるにも拘らず安倍政権は「1強」とは言えない。なぜならば、敵は「世論」であり、それを端的に数値化した「支持率」だからである。
1990年代の政治改革によって二大政党制が実現すると思われたが、実際に進展したのは、もっぱら支持率を通して世論が政治を動かすという事態であった。
安倍政権の「1強」を崩したのは半分が身から出た錆であるが、あとの半分は森友学園・加計学園問題である。これらの国家の方向を左右する大問題とは言えない問題をマスコミは半年近くにわたって報道し続けた。この問題が「事実」をめぐってどうにもならない泥沼に陥ってしまった。
メディアは「事実」を御旗にするが、森友・加計問題で事実が出てくるはずもなく、彼らは「事実」を示さないのは「事実」を隠蔽しているからだという推測に基づいて政府を攻撃しているのだ。この攻撃によって、内閣支持率が急落していったのである。
政府を弁護しようとしているわけではなく、「事実」と言っているメディアが実は「事実」を本当は信用しておらず、ただ利用しているだけなのではないかと言いたいのである。実際には、「疑惑の安倍政権」というイメージを醸成する一種の「世論」操作に見える。
論争は、不確かな「事実」をめぐる駆け引きではなく、世界観や政策をめぐる意見の対立にこそあるべきである。
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