1.いつまで続く朝日の情緒的原発記事
>平成28年4月21日付の朝日新聞の社説『【原発40年規制】早くも骨抜きなのか』を読んだ.
原発の40年寿命とその延長に関するマスコミの情緒的報道は何とかならないものだろうか、というのが偽らざる感想である。この社説は事柄の本質について何も触れていない。現実に起きている種々の矛盾には目をつぶり、単に手続き的なこと、事故は悲惨であること、だけを基調にして読者の情緒に訴えている。このような情緒的主張は他紙も含めて何度繰り返されただろうか。この社説のまやかしは、1)常識的視点と2)科学・技術的視点、といった大事な視点に欠けている点にある。具体的に指摘してみよう。
1)常識的視点を言えば、
イ) 権威ある米国の規制機関NRCは、約100基ある原発のうち80基に対し現在までに40年から60年までの寿命延長を認めている。
朝日の社説がそのような重要な事実には目をつぶり、我が国の原発の寿命延長だけを危険視する理由は何か。米国で当然とされていることが、どうして我が国の原発に適用できないのか。この問題の本質は安全性の技術的確保にあり、情緒的な原発賛否論とは別である。規制庁の審査の結果、安全と判断されればそれで済むこと。
ロ) 原発の寿命延長は米国だけでなく他国でも実施されており、膨大な技術的根拠が示されている。米国では60年を超えて80年までの延長さえ議論されている。やがて、80年運転の延長許可が下されるであろう。日本の現状は世界の笑いものである。世界一の技術を持ちながら、日本は世界の原発受注合戦であっという間にロシア、中国に負けてしまった。こうなった理由は何か、国民は考えるべきである。原発の足を引っ張り続ける朝日に国益喪失の責任はないのか。せめて、原発寿命延長の科学的技術的理由ぐらいは理解してもらいたい。
ハ) 我が国でも、高経年化評価と称して寿命延長に係わる膨大な検討がなされており、弱点部と見なされる機器は新品に交換されていたりして、60年までの延長は可能との結論が得られていた。その検討結果は現在でも生きており、寿命延長の評価において活かされるべきである。新規に設置した新規制基準に対応した設備の評価だけでよいはず。
2)科学的視点から眺めると、
イ) 建設に先立って設計を行うには、寿命を仮定しておかないと、疲労設計などの強度設計ができない。寿命は天から与えられたものではなく、はじめに、60年で設計しておいても構わないのである。40年は暫定的な寿命であることを知るべき。技術評価の結果、20年延長が問題なしとされれば、それを否定する理由は“こじつけ”以外どこにもない。
ロ) 強度設計するときには、2〜3の安全係数を設定して部材の寸法を決める。この余裕が寿命延長を可能にする。また、部材の弱点部は使用中に40年に至る前に多くの重要機器は交換されている。従って、それを老朽炉というのは当たらない。
ハ) 設備・機器類が60年までの寿命に耐えるかどうかを評価できる技術は確立されている。それは世界の実績から明白。社説はそれを知っていてただ報道しないだけではないか。これでは嘘を報道し続けた“慰安婦問題”と同じではないか。朝日は世界の常識を理解し得ない偏向新聞と批判されても仕方があるまい。
2.社説の情緒的記述とコメント
以下に示す4月21日付の朝日新聞の社説に反論してみたい。社説の題名は
「【原発40年規制】早くも骨抜きなのか」 である。黒字が社説で赤字が筆者のコメント。
古い原発は廃炉とし、計画的に原発を減らしていく―東京電力福島第一原発事故への反省から決めたルールが、早くも骨抜きになろうとしている。
(規制委員会は技術基準に則って寿命延長の可能性を評価している。しかもこの評価行為は原子炉等規制法に準拠している。寿命延長は原子力の活用であり、国民生活を豊かにする。どこを見れば、それが“骨抜き”にみえるのか。)
原子力規制委員会は、運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機(福井県)について、新規制基準を満たしていると正式に決めた。新基準のもとで40年超の老朽原発の運転延長が認められるのは初めてだ。残る細かい審査を7月の期限までに終えれば、あと20年、運転が続く公算が大きい。
(この部分は表現があいまい。高浜原発1,2号機は設置許可申請に対し合格したのであって、後の工事計画申請と60年への寿命延長申請は現在審査継続中。この2つの申請が認められて60年運転延長が認められたことになる。)
「40年ルール」は福島での事故後、法律を改正して導入された。「一回だけ、最長20年間」と定められた運転延長は「極めて例外的」と位置づけられた。あえて例外を設けたのは電力不足に備えるためだったが、節電や省エネの定着で懸念は解消していると言っていい。
(あえて例外という表現は朝日の偏った見方。懸念は解消しているというのは、朝日の浅慮。自然エネルギーによる発電の現状と限界、油代の変動、近未来における世界規模での石油争奪戦、地球温暖化による気象の狂暴化、などに触れない主張はいつもの読者をミスリードする常套手段である。)
おりしも熊本県を中心に「今までの経験則からはずれている」(気象庁)という地震が続く。隣の鹿児島県で運転中の九州電力川内原発に影響が及ばないか、不安を感じている国民は少なくない。いきなり例外を認め、規制のたがを緩めるような対応は、原発行政への不信を高めるだけではないか。
(不安を煽るいつもの書きぶり。不安に正しく対応する知恵が必要といったらどうか。新規制基準対応で原発の耐震性は格段に向上した。何故、それに触れないのか。大地震の場合原発は自動停止する。崩壊熱によるメルトダウン対策は十分すぎるくらい施された。熊本地震と原発の安全性の関係は考慮済み。危険がないのに停止する必要はあるまい。規制委も安全性をしっかり説明して国民の不安解消に努めるべき。)
安倍政権は個別原発の可否の判断を規制委に丸投げしつつ、運転延長を前提にしたエネルギー計画を立てた。「原発依存度を可能な限り低減する」と繰り返していた首相は、なしくずしに方針を転換してきた。
(総理に丸投げしないでどうしろというのか。総理自ら技術的安全評価をやれというのか。朝日だって原発の技術的安全評価はできない。総理は規制委員会の判断を尊重すると言っているだけ。それが気に入らない朝日は丸投げという稚拙な表現で不満を表明している。慰安婦問題で嘘八百を書きたて日本国民の国際的信用を貶めた朝日。朝日の主張の反対が正義になろうとしていないか。)
規制委は、あくまで科学的見地から原発の安全性を高めることが役割だが、今回の審査では耐震性の試験を後回しにすることを関電に認めるなど、手順に疑問が残る。7月の審査期限をにらんだスケジュールありきだったとすれば、まさに本末転倒である。
(本末転倒だというのは理解不足。美浜原発の蒸気発生器の振動試験を参考にして“信頼性が実証された計算機コード”で高浜原発の機器の健全性を評価するのはおかしくない。高浜原発の実試験を後回しにしても安全上問題は生じない。)
結局、廃炉にするかどうかの実質的な判断は電力会社に委ねられ、運転延長が採算に合うかどうかという観点から決まるという状況になりつつある。
(それが常識である。そうでなければ、自由主義経済は成立しない。)
狭い国土に多くの人が住み、地震など自然災害も多い日本で、多くの原発を抱えていくリスクは大きい。福島での事故を経て、そこが原子力行政見直しの出発点だったはずだ。
(リスクを大きいと判断したから、新規制基準ができたのではないのか。世界一厳しい安全基準だと規制委員会は言っている。これこそ、原子力行政の見直しの出発点であったことがどうして理解できないのか。)
原発を維持する政策をとり続ければ、廃棄物の処理などで長期的には国民負担も増えかねない。エネルギー自給率は再生エネルギーの育成で高めようというのが世界の大勢だ。
(廃棄物処理は日本のエネルギー問題を半永久的に解決する核燃料増殖に不可欠。自然エネルギーが島国の日本になじまないのは今や常識。不安定な自然エネルギーは系統の末端でしか使えないことは知っているはず。怖くて主系統には入れられない。世界の大勢と日本のそれとはいつも同じではない。)
移行期間は必要だとしても、着実に原発を閉じていく政策にこそ合理性があろう。40年規制はそのための柱の一つである。そのことを思い起こすべきだ。
(原子力なくしてこの国は立ち行かぬとは野田前総理の言。原子力の安全性をどこまでも追及するのがこの国に相応しい生き方である。寿命延長の活用こそその一環である。)
3.結 言
以上のように、社説の内容はほとんどが反論可能である。論拠があやふやだからである。慰安婦報道同様、朝日には日本の将来や国民の安寧を真剣に思う心が欠けているのではないか。論理学における“否定則”をこの社説に適用すれば、「朝日の寿命延長不要の主張が正しいならば、世界は原発の寿命延長を実施しないであろう。しかし米国にみられるように原発の寿命延長の動きは活発である。故に、朝日の原発寿命延長不要の主張は間違いである」となる。朝日がこれに納得しないならば、原発大国を目指している中国に出かけて、習近平に原発停止を訴えてみたらどうか。できないであろう。ならば「朝日の反原発の主張が正しければ、中国は原発ゼロに踏み切るであろう。しかし、中国はアメリカを凌ぐ原発大国になろうとしている。故に、朝日の反原発主張はまやかしである」と言えるのではないか。これは他紙、例えば東京新聞などに置き換えても同じこと。朝日ともあろうものが、いつまでもこんな調子で国民をミスリードし続けるのは止めてもらいたい。(雲水 記)
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社説 全文 : 【原発40年規制】早くも骨抜きなのか
古い原発は廃炉とし、計画的に原発を減らしていく―東京電力福島第一原発事故への反省から決めたルールが、早くも骨抜きになろうとしている。
原子力規制委員会は、運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機(福井県)について、新規制基準を満たしていると正式に決めた。新基準のもとで40年超の老朽原発の運転延長が認められるのは初めてだ。残る細かい審査を7月の期限までに終えれば、あと20年、運転が続く公算が大きい。
「40年ルール」は福島での事故後、法律を改正して導入された。「一回だけ、最長20年間」と定められた運転延長は「極めて例外的」と位置づけられた。あえて例外を設けたのは電力不足に備えるためだったが、節電や省エネの定着で懸念は解消していると言っていい。
おりしも熊本県を中心に「今までの経験則からはずれている」(気象庁)という地震が続く。隣の鹿児島県で運転中の九州電力川内原発に影響が及ばないか、不安を感じている国民は少なくない。いきなり例外を認め、規制のたがを緩めるような対応は、原発行政への不信を高めるだけではないか。
安倍政権は個別原発の可否の判断を規制委に丸投げしつつ、運転延長を前提にしたエネルギー計画を立てた。「原発依存度を可能な限り低減する」と繰り返していた首相は、なしくずしに方針を転換してきた。
規制委は、あくまで科学的見地から原発の安全性を高めることが役割だが、今回の審査では耐震性の試験を後回しにすることを関電に認めるなど、手順に疑問が残る。7月の審査期限をにらんだスケジュールありきだったとすれば、まさに本末転倒である。
結局、廃炉にするかどうかの実質的な判断は電力会社に委ねられ、運転延長が採算に合うかどうかとういう観点から決まるという状況になりつつある。
狭い国土に多くの人が住み、地震など自然災害も多い日本で、多くの原発を抱えていくリスクは大きい。福島での事故を経て、そこが原子力行政見直しの出発点だったはずだ。
原発を維持する政策をとり続ければ、廃棄物の処理などで長期的には国民負担も増えかねない。エネルギー自給率は再生エネルギーの育成で高めようというのが世界の大勢だ。
移行期間は必要だとしても、着実に原発を閉じていく政策にこそ合理性があろう。40年規制はそのための柱の一つである。そのことを思い起こすべきだ。
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