数日前(8月5日付)朝日新聞は日韓関係の重大な支障になっている“従軍慰安婦”に関する自らの報道が虚報であることを認めた。一連の虚報のおかげで我が国がどれだけ濡れ衣(ぬれぎぬ)を着せられ、国際的にどれだけ国としての尊厳を傷つけられてきたか、良識的な国民は朝日を許すことはできないであろう。しかも虚報であることを認めながら、論点をまやかしにして責任をとろうとしない。国会での証人喚問を行い、場合によっては廃刊に追い込むことも辞してはなるまい。
IOJだより pdf
1.開き直り
ここで注意すべきことは、慰安婦問題の報道は単なる間違いだったのか、意図的な報道だったのか、である。慰安婦問題で大きな誤解を与えた吉田清治の著作や発言はかなり前から信憑性を疑われていた。にもかかわらず、朝日は本来公正であるべき報道機関ならば検証するはずのことを一切せずに、我が国と国民の名誉と尊厳が韓国によって毀誉されるのを黙視してきた。このような意図的に国益を損ねる報道を長年にわたって行った新聞の存在を許している国が世界のどこにあるのか。
虚報が正されなかった結果、過去30年以上にわたって国内外の文献に誤って引用され、米国、韓国、中国で日本に対する誹謗中傷がまかり通り、挙句の果てには“慰安婦像碑”までが建てられるまでになってしまった。そういう虚報を知ってか、知らずか、韓国の朴大統領は世界に対し日本を貶める告げ口外交を世界に展開した。今回の朝日の告白記事は朴大統領の見識のなさを検証して余りある。朝日が韓国の新聞であればここまで糾弾されることはあるまいが、朝日は戦争を煽りぬいた戦前からの日本の新聞である。
しかし、朝日や韓国は慰安婦の強制連行が「事実でない」ことを知っていながら事実を意図的に曲げて日本を貶めてきたのである。朝日の今回の告白報道は見ようによっては、意図的になされた誤報道が当初の期待以上に成果を挙げたので、今回のまやかしの謝罪によってそれが後戻りすることはないと踏んでの措置ではないかと思える点である。だからこそ今回の告白ともいえる訂正に踏み切ったのだともとれる。
2.慰安婦“虚報”問題は氷山の一角
朝日がある事実を虚報として報道して政治問題化し、日本国と政府を窮地に立たせてきた歴史を思い起こしてみるに、今回の従軍慰安婦問題などは氷山の一角である。靖国問題を不当な政治問題にしたのも朝日である。平和憲法を70年間維持してきた事実は十分に戦争責任を果たしたことになる。
朝日はあたかも中国共産党政権の機関紙であるかのように振る舞い、日本政府の政策に言いがかりをつける手段を中国政府に提供してきた。過去には、閣僚が歴史問題などで常識的な発言をするごとに中国・韓国に干渉され辞任を余儀なくされてきた。国民は涙を呑んで耐えてきた。そのもとを作ってきたのが朝日である。
さらに、特定秘密保護法と集団的自衛権。特定秘密保護法で言論の自由が侵される余地はどこにも見られないのに、狂ったように反対の記事を書きまくった。
安倍政権に対する誹謗中傷は政権の支持率を低下させるためだけの意図的な記事としか思えない。言論の自由の悪用と言われても仕方があるまい。こういう新聞に言論の自由を享受する権利はないだろう。日刊新聞法を改正して言論の自由の正しい在り方を実現すべきである。
また、集団的自衛権に関しても、そもそも国連も認めている権利である。自国の防衛をいろいろな方法で高めることが、どうして朝日が言うように“好戦的”なのか。集団的自衛権を持てばすぐにでも「戦争を仕掛けるにちがいない」と曲解し紙上で騒ぐのは、反対のための詭弁であって、慰安婦報道の虚構性と同根であろう。朝日は日本国民の尊厳を傷つけ、世界に発信し、日韓友好を損ね、中国などに付け入る隙を与え、どれだけ国益を損なってきたことか。国民の尊厳を損ねる売国新聞と言われても仕方があるまい。
8月18日付の産経新聞でジャーナリストの門田隆将氏は「事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、(朝日の福島原発事故の吉田調書報道は嘘で固められた点において)先に撤回された慰安婦報道と図式がまったく同じではないか、と思う。なぜ朝日新聞は事実を曲げてまで、日本人をおとしめたいのか、私には理解できない。」と述べている。これが国民に共通する感情だろう。その朝日は名誉を傷つけられたとして門田氏を訴えたという報道があった。この期に及んで反省のひとかけらもないことを自ら露呈しているようなものではないか。
かつて朝日のロジックはそれなりに一種理路整然としていた。しかし、過去30年は論理矛盾には目もくれなかった。これは何か無理やり自己の野望的な目標を達成させねばならないという焦りと、もはやまともな左翼的後継者がいないという内部事情から来る焦りのように思える。戦前のゾルゲ事件などを見れば朝日の中に共産主義者が巣くっていた事実はインターネット上からも明白である。複雑なしがらみの中で、朝日は目まぐるしく変わる世界の動向についていけないで混乱をきたしているのではないか、ともとれる。
3.価値判断が病んでいないか、朝日新聞
かつて「戦争放棄をうたった憲法9条を守れば中国や北朝鮮と信頼関係を構築できる」との大江健三郎の発言があった。朝日はそれを大いに誉めそやした。現在9条は健在である。しかし、最近の尖閣での中国の挑発行為を見ればこの発言が破たんしているのは言を俟たない。ノーベル文学賞が聞いてあきれる話である。この作家は原発をこの国から一掃しようとデモの先頭に立っている。その結果にどのように責任をとるつもりなのか。
このような詭弁と幻想を見抜けない国民の民度もさることながら、知的レベルは高いはずの朝日が現実離れした大江氏の言を担ぐとは、判断力が正常であればそれがまやかしであることぐらいはすぐに見抜けそうなのに。
そもそも平和憲法だけで自国の安全が守れる、というのは悲しい幻想で、いかなる国家と言えども、適宜な規模の自衛力を有することのみが国の安全を保障できるとするというのが世間の常識である。このような冷徹な政治的現実を知らないはずはない朝日が、虚報をしながら「知らぬ、存ぜぬ」を決め込んでいるのはどこかが病んでいるとしか思えない。一度中立的な機関に鑑定を受け、その結果を真摯に受け止め、場合によったら自ら廃刊にして捲土重来を期してはどうだろうか。今回の告白記事は図らずも、朝日が健全で国民に有益な新聞として再起する絶好の機会を生じたことになるという見方もできる。
4.国民誘導の誘惑に勝てない朝日新聞
以上を俯瞰的にながめてみると、「朝日は嘘をついた、あるいは嘘をついている」というだけでは不十分で、「朝日は一定の方向に読者を誘導しようとしている。そのために敢えて嘘を言い続けている」と捉えることが妥当ではないか。誘導するものは通常狡猾で責任を本能的に回避する。太平洋戦争で朝日がどれだけ戦争を煽り、有為な若者を死に至らせたか、計り知れない大罪である。
この3年間、朝日は反原発を誘導し、事故を契機に十分な安全対策を講じたにもかかわらず、原発の安全性を一言も報道せず、危険性だけを強調してきた。その報道がどれだけ国民を反原発に駆り立て、その結果原子力を混迷に陥れ、膨大な国益を損ねてきたことか。その様は、全く慰安婦問題と同様である。
現在、火力発電所をフル稼働して電力を供給している。いつ大停電が起きてもおかしくないと言われながら、一旦大停電が生じ、経済的損失だけでなくたとえば病院等で人名が失われた時、めぐりめぐって、このような事態をもたらした朝日報道に責任問題がないとは言わせない。こういう主張に対し朝日は頬被りしたままである。このような大新聞がこのざまでは、日本はますます厳しくなる国際情勢の中で生きていけるはずはない。東京電力に対する朝日の報道は、特権を持たない庶民だけが責任を取らされる事態を助長しており、菅元首相や事故時の権力者が罪を問われない事態は異常である。
言論の自由の下、情報提供だけなら責任を取る必要はあるまい。しかし、この慰安婦問題を意図的に政治問題化させることでどれだけ損害を起こしたか先に述べたとおりである。原発を混迷に陥れ、貿易赤字の主因になっていることも知られている。靖国神社問題を政治問題化させた責任はどこに。朝日新聞は売国新聞であるといわれる声は少しも収まらない。
5.日本の将来に資する新聞になり得るか
戦前、朝日は日米戦争に一番積極的であった。戦争を賛美し国民を戦争に煽りたてた。それが戦後になると一転した。反戦的言辞が増え続け現在に至っている。そのとき短い謝罪文を掲載した。今回の慰安婦問題誤報の謝罪文と論理といい、弁解がましい状況は、朝日の体質は戦後70年間何も変わっていないことを示している。
桜井よし子氏が「この新聞はもう廃刊にするしかないのではないか」と講演したと産経新聞(8月16日付)が報じた。現状を憂える思い切った発言である。日本が厳しい国際情勢の下で生き抜いていくのに、朝日には障害以上の何物も期待できないということだろう。多くの国民が、朝日の異常さに気がつきながらもどうしたらよいか判らずもどかしく思っていた矢先に、朝日の廃刊という事態が生じれば、我が国にとって大いなる救いである。
朝日新聞がこれまでしてきたことを思えば、情状酌量など努々(ゆめゆめ)持ち込んではなるまい。このような朝日の行状にいつまでも黙ってはいられないのだから。
1.開き直り
ここで注意すべきことは、慰安婦問題の報道は単なる間違いだったのか、意図的な報道だったのか、である。慰安婦問題で大きな誤解を与えた吉田清治の著作や発言はかなり前から信憑性を疑われていた。にもかかわらず、朝日は本来公正であるべき報道機関ならば検証するはずのことを一切せずに、我が国と国民の名誉と尊厳が韓国によって毀誉されるのを黙視してきた。このような意図的に国益を損ねる報道を長年にわたって行った新聞の存在を許している国が世界のどこにあるのか。
虚報が正されなかった結果、過去30年以上にわたって国内外の文献に誤って引用され、米国、韓国、中国で日本に対する誹謗中傷がまかり通り、挙句の果てには“慰安婦像碑”までが建てられるまでになってしまった。そういう虚報を知ってか、知らずか、韓国の朴大統領は世界に対し日本を貶める告げ口外交を世界に展開した。今回の朝日の告白記事は朴大統領の見識のなさを検証して余りある。朝日が韓国の新聞であればここまで糾弾されることはあるまいが、朝日は戦争を煽りぬいた戦前からの日本の新聞である。
しかし、朝日や韓国は慰安婦の強制連行が「事実でない」ことを知っていながら事実を意図的に曲げて日本を貶めてきたのである。朝日の今回の告白報道は見ようによっては、意図的になされた誤報道が当初の期待以上に成果を挙げたので、今回のまやかしの謝罪によってそれが後戻りすることはないと踏んでの措置ではないかと思える点である。だからこそ今回の告白ともいえる訂正に踏み切ったのだともとれる。
2.慰安婦“虚報”問題は氷山の一角
朝日がある事実を虚報として報道して政治問題化し、日本国と政府を窮地に立たせてきた歴史を思い起こしてみるに、今回の従軍慰安婦問題などは氷山の一角である。靖国問題を不当な政治問題にしたのも朝日である。平和憲法を70年間維持してきた事実は十分に戦争責任を果たしたことになる。
朝日はあたかも中国共産党政権の機関紙であるかのように振る舞い、日本政府の政策に言いがかりをつける手段を中国政府に提供してきた。過去には、閣僚が歴史問題などで常識的な発言をするごとに中国・韓国に干渉され辞任を余儀なくされてきた。国民は涙を呑んで耐えてきた。そのもとを作ってきたのが朝日である。
さらに、特定秘密保護法と集団的自衛権。特定秘密保護法で言論の自由が侵される余地はどこにも見られないのに、狂ったように反対の記事を書きまくった。
安倍政権に対する誹謗中傷は政権の支持率を低下させるためだけの意図的な記事としか思えない。言論の自由の悪用と言われても仕方があるまい。こういう新聞に言論の自由を享受する権利はないだろう。日刊新聞法を改正して言論の自由の正しい在り方を実現すべきである。
また、集団的自衛権に関しても、そもそも国連も認めている権利である。自国の防衛をいろいろな方法で高めることが、どうして朝日が言うように“好戦的”なのか。集団的自衛権を持てばすぐにでも「戦争を仕掛けるにちがいない」と曲解し紙上で騒ぐのは、反対のための詭弁であって、慰安婦報道の虚構性と同根であろう。朝日は日本国民の尊厳を傷つけ、世界に発信し、日韓友好を損ね、中国などに付け入る隙を与え、どれだけ国益を損なってきたことか。国民の尊厳を損ねる売国新聞と言われても仕方があるまい。
8月18日付の産経新聞でジャーナリストの門田隆将氏は「事実と異なる報道によって日本人をおとしめるという点において、(朝日の福島原発事故の吉田調書報道は嘘で固められた点において)先に撤回された慰安婦報道と図式がまったく同じではないか、と思う。なぜ朝日新聞は事実を曲げてまで、日本人をおとしめたいのか、私には理解できない。」と述べている。これが国民に共通する感情だろう。その朝日は名誉を傷つけられたとして門田氏を訴えたという報道があった。この期に及んで反省のひとかけらもないことを自ら露呈しているようなものではないか。
かつて朝日のロジックはそれなりに一種理路整然としていた。しかし、過去30年は論理矛盾には目もくれなかった。これは何か無理やり自己の野望的な目標を達成させねばならないという焦りと、もはやまともな左翼的後継者がいないという内部事情から来る焦りのように思える。戦前のゾルゲ事件などを見れば朝日の中に共産主義者が巣くっていた事実はインターネット上からも明白である。複雑なしがらみの中で、朝日は目まぐるしく変わる世界の動向についていけないで混乱をきたしているのではないか、ともとれる。
3.価値判断が病んでいないか、朝日新聞
かつて「戦争放棄をうたった憲法9条を守れば中国や北朝鮮と信頼関係を構築できる」との大江健三郎の発言があった。朝日はそれを大いに誉めそやした。現在9条は健在である。しかし、最近の尖閣での中国の挑発行為を見ればこの発言が破たんしているのは言を俟たない。ノーベル文学賞が聞いてあきれる話である。この作家は原発をこの国から一掃しようとデモの先頭に立っている。その結果にどのように責任をとるつもりなのか。
このような詭弁と幻想を見抜けない国民の民度もさることながら、知的レベルは高いはずの朝日が現実離れした大江氏の言を担ぐとは、判断力が正常であればそれがまやかしであることぐらいはすぐに見抜けそうなのに。
そもそも平和憲法だけで自国の安全が守れる、というのは悲しい幻想で、いかなる国家と言えども、適宜な規模の自衛力を有することのみが国の安全を保障できるとするというのが世間の常識である。このような冷徹な政治的現実を知らないはずはない朝日が、虚報をしながら「知らぬ、存ぜぬ」を決め込んでいるのはどこかが病んでいるとしか思えない。一度中立的な機関に鑑定を受け、その結果を真摯に受け止め、場合によったら自ら廃刊にして捲土重来を期してはどうだろうか。今回の告白記事は図らずも、朝日が健全で国民に有益な新聞として再起する絶好の機会を生じたことになるという見方もできる。
4.国民誘導の誘惑に勝てない朝日新聞
以上を俯瞰的にながめてみると、「朝日は嘘をついた、あるいは嘘をついている」というだけでは不十分で、「朝日は一定の方向に読者を誘導しようとしている。そのために敢えて嘘を言い続けている」と捉えることが妥当ではないか。誘導するものは通常狡猾で責任を本能的に回避する。太平洋戦争で朝日がどれだけ戦争を煽り、有為な若者を死に至らせたか、計り知れない大罪である。
この3年間、朝日は反原発を誘導し、事故を契機に十分な安全対策を講じたにもかかわらず、原発の安全性を一言も報道せず、危険性だけを強調してきた。その報道がどれだけ国民を反原発に駆り立て、その結果原子力を混迷に陥れ、膨大な国益を損ねてきたことか。その様は、全く慰安婦問題と同様である。
現在、火力発電所をフル稼働して電力を供給している。いつ大停電が起きてもおかしくないと言われながら、一旦大停電が生じ、経済的損失だけでなくたとえば病院等で人名が失われた時、めぐりめぐって、このような事態をもたらした朝日報道に責任問題がないとは言わせない。こういう主張に対し朝日は頬被りしたままである。このような大新聞がこのざまでは、日本はますます厳しくなる国際情勢の中で生きていけるはずはない。東京電力に対する朝日の報道は、特権を持たない庶民だけが責任を取らされる事態を助長しており、菅元首相や事故時の権力者が罪を問われない事態は異常である。
言論の自由の下、情報提供だけなら責任を取る必要はあるまい。しかし、この慰安婦問題を意図的に政治問題化させることでどれだけ損害を起こしたか先に述べたとおりである。原発を混迷に陥れ、貿易赤字の主因になっていることも知られている。靖国神社問題を政治問題化させた責任はどこに。朝日新聞は売国新聞であるといわれる声は少しも収まらない。
5.日本の将来に資する新聞になり得るか
戦前、朝日は日米戦争に一番積極的であった。戦争を賛美し国民を戦争に煽りたてた。それが戦後になると一転した。反戦的言辞が増え続け現在に至っている。そのとき短い謝罪文を掲載した。今回の慰安婦問題誤報の謝罪文と論理といい、弁解がましい状況は、朝日の体質は戦後70年間何も変わっていないことを示している。
桜井よし子氏が「この新聞はもう廃刊にするしかないのではないか」と講演したと産経新聞(8月16日付)が報じた。現状を憂える思い切った発言である。日本が厳しい国際情勢の下で生き抜いていくのに、朝日には障害以上の何物も期待できないということだろう。多くの国民が、朝日の異常さに気がつきながらもどうしたらよいか判らずもどかしく思っていた矢先に、朝日の廃刊という事態が生じれば、我が国にとって大いなる救いである。
朝日新聞がこれまでしてきたことを思えば、情状酌量など努々(ゆめゆめ)持ち込んではなるまい。このような朝日の行状にいつまでも黙ってはいられないのだから。