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SEJ 日本のエネルギーを考える会

89号 会員の声 「納得のいかない朝日の社説−原発政策 政治の無責任は許されぬ−」


カテゴリ:  外部情報    2014-1-14 16:29   閲覧 (2877)
2014年1月6日付の朝日新聞の社説に対して、”納得がいかない”と会員の声が寄せられました。その指摘と反論が挙げられています。
1.原発記事に主張の前提を隠してはならない
2014年1月6日付の朝日新聞(朝日と略)の社説に「原発政策−政治の無責任は許されぬ」が掲載された。発足後1年しかたっていない原子力規制委員会の非科学的で重箱の隅をつつくような規制行政に対し、自民党原子力プロジェクトチームが改善を促す提言を行った(12月25日)。三条委員会の生みの親である塩崎氏は、規制委員会に期待を裏切られ、これ以上黙っていられなくなった上での行動であろう。



それに対し朝日は社説で塩崎氏を批判した。よく読むと、例によって読者を反原発に誘導するいつもの揚げ足取り。本来は社説の前提を明確にして、それ故塩崎氏の行為には同意できないとすべきところ、実態を無視したうわべだけの揚げ足取りに終始している。社説は燃料サイクル無用論に紙面を割いているが、そこでは以下の事実が隠されている。
1) 軽水炉燃料棒は約4%のウラン235と96%のウラン238からなる。前者は核反応を起こすが、後者は燃えない。炉内で238はプルトニーム239に変換され燃え


るようになる。使用済み核燃料から、燃える燃料を取り出せば、ウラン235だけの利用に比べて60倍から100倍のエネルギー利用が可能となる。そうすると我が国は500〜1000年間は電力不足を心配しなくてよい。燃料サイクルは、わずか4%の国産エネルギーしかない我が国にとって天の配剤である。朝日はこの神の恩寵を捨て去れという。
2) 燃料サイクルには膨大な資金がいると言っているが、運転再開すれば10年間で35〜40兆円が純益として見込める。朝日は、金の卵は欲しいが金の卵を産む鶏は殺せという。肝心なことを無視している。

一般の読者はこの社説に説得されるかも知れないが、勉強不足や間違いが散見される。主張は結局“まやかし”に近い。例えば、日本が原発をやめて一番喜ぶのは誰か。韓国と中国である。そしてそれを喜ぶのは朝日のような反日マスコミではないか。今後世界で400基(保全も含めれば約1000兆円以上のビジネス)以上の原発が建設される。世界市場で日本が消えれば、両国にとって最強の競争相手がいなくなる。在日の韓国人経営者は、日本は原発を即刻やめるべきと言い、韓国にはしっかりやるべきだと二枚舌を使っている。太陽光発電で菅氏と謀って悪法を成立させた人物。このような反日勢力に負けては日本の将来はない。
反原発記事の主張の根幹は福島原発事故の悲惨さだけである。事故後3年近く経過してみると、彼らこそ“福島復興の

癌”であることが判る。彼らにとって反原発を成功させるため、福島復興は成功させてはならない。復興がはかどらない理由は風評被害を執拗に巻き起こして平気な反原発マスコミではないか。NHKの執拗な汚染水報道は良い例。彼らが、死者ゼロ、放射能障害者ゼロの事故を針小棒大にとりあげている実態に早く気付くべし。福島事故で、日本が原発を放棄し国の将来を危うくする事態を招いてはならない。避難民は民主党の愚策の結果である。原発の再稼働で得た巨額の収益を福島に投ずれば別の展望が開けるはず。反日マスコミが日本を貶める現状は深刻な事態である。
社説の内容は、事情を知る技術者として看過できないので以下に矛盾を指摘した。
2.原発記事の偏向を見破るコツ(判断基準)
社説の偏見を説明せよと言われても困る場合がある。その時、判断基準があれば説明しやすい。対象を原発に絞れば、基準は、
1) 国内基準:国益と損害のバランス、国力(経済性)の評価、反原発の主張に正当性があるか。
2) 国際基準:地球温暖化による異常気象の猛威と人類の永続問題。化石資源の枯渇問題。世界の原発が現在の倍(800基体制)になる現実を無視していないか。世界一の原子力安全技術を有する日本から原発を消滅させ、韓国・中国が原発の世界市場を制覇するのに手を貸す理由を考えているか。
3) 説明・論調:事故の悲惨さや恐怖を過剰に煽る情緒主義に陥っていないか。

反原発・反日マスコミの主張は、国内基準と国際基準からひたすら逃げている。正面から勝負できないのである。
3.社説に対する逐条反論
以下、社説のパラグラフごとに反論してみたい。
イ)社説は言う『歩調を合わせるように、自民党内では「早期再稼働」の声が大きくなっている。昨年12月25日には、原子力規制に関する党内チームの座長を務める塩崎泰久衆院議員が規制委に出向き、田中俊一委員長に、もっと国会議員や立地自治体の首長、電力会社の意見を聴くよう迫った。
規制委の設置にあたり、民主党政権が出した法案に「独立性が足りない」と詰め寄り、今の形に修正したのは、塩崎氏をはじめとする自民党だ。
ところが、規制委が活断層の調査や規制基準の策定に厳格な姿勢を見せるや、原発推進派の不満が噴出する。自民党が政権に返り咲くと、影響力を行使しようとする流れが加速した。ご都合主義が目に余る。』

反論:島崎委員による活断層問題の処理は非科学的で日本国内だけでなく世界からも批判されている。朝日は社説で、悪評高き島崎手法を弁護しているようなもの。そう明言したらどうか。世の笑いものだろう。そもそも、規制委員会は何のため設置されたのか、見当違いをしていないか。原子力基本法や原子力規制委員会設置法を読めばよい。規制委員会は原子力の利用が前提なのだ。ならば、国民の代表でかつ生みの親である塩崎氏が規制委にその役割を十分に果たすように効果的なアドバイスをするのに何の不都合があるのか。塩崎氏が良い影響力を行使するのにそれを妨げる理由はどこにもない。朝日が独立性をはき違えているだけだろう。朝日の指摘が間違いなのは、米国NRCがどう運用され、どのように抑制機能が働いているか、勉強してみたらすぐわかること。情緒的な反原発記事を書き続けると論理的に“鈍する”ということか。

先日、規制委員会の事故調査委員会で「福島事故の原因は地震によるものではない」と結論付けられた。国会事故調の間違いが確実になった。田中三彦委員は国民をたばかったし、黒川委員長はそれを見抜けなかった。この2人を国会証人として呼び、真実と偽証を国民に明らかにすべきである。何故これが重要かというと、島崎派は「地震で機器が破損した」という事実が要るのである。これは活断層問題を誇大化し原発殺しを演じるうえで不可欠なのである。ここには暗黙の民主党、社民党、反日マスコミの連携が存在する。島崎有識者会合の存在理由はこれで否定されるが、今となっては、後の祭りである。島崎氏の後任に本件を正してもらうだけになった。こうしてみると、日本原電の反論は当然なのである。今の規制委の混乱は国会事故調の間違いに起因し塩崎提言の背景になっている。
また、現在、規制委員会の運転再開の審査業務が遅すぎるのは何故か、事業者や産業界や心ある国民は危惧している。事業者との対話が基本的に欠けているからだ。それを慮る塩崎氏のどこがご都合主義か。目に余るのは朝日の“夜郎自大”的社説ではないか。

ロ)社説は言う、『自民党の長期政権下で原発の安全神話を増長させ、必要な対策を怠ってきたこと
への反省どこへいったか。』



反論: 安全神話を作り上げていったのは原子力村人だけではない。共犯者は複数存在する。朝日もその一人。トラブルが生じればそれ見たことかと言って、原発は危険だと数限りなく煽ってきた朝日の行為に責任がないとは言わせない。彼らは健全な原子力の発展を阻害してきた。それが日本の堅実な発展の阻害に通じるから反日マスコミといわれるのである。事故以前に原子力関係者が対策を講じようとするものなら、「それ見たことか原発は安全でない証拠だ」と称して“未必の故意”的に原発安全性を神話に棚上げさせたのである。朝日が、自民党が安全神話を増長させたというのは五十歩百歩でそれをあげつらうとは笑止千万である。この頬かぶりは戦前の巨大な戦争責任に対する頬かぶりと同根である。

ハ)社説は言う、『安倍政権は、表面的には「原発比率を下げる」と言いつつ、原発を「重要なベース電源」と位置づけ、規制委の基準に適合した原発は動かす方針だ。しかし、規制委が判断するのは科学的な根拠にもとづく最低限の安全確認にすぎない。事故リスクがゼロにならない以上、口先だけではなく、「原発比率を下げる」手立てを総合的に講じるのが政治の役割だ。そうした見取り図も示さず、再稼働の判断はすべて規制委に丸投げし、そこへの圧力めいた
動きは放置する。なし崩れ的な原発回帰と言うほかない。』
反論: 何故、国家の運営に責任を有する政権が「原発を重要なベース電源」と位置付けるか、本当は朝日も判っているはず。小泉氏の情緒的反原発主張に惑わされて国の将来を誤ってはならない。責任のない朝日が机上の空論を振りかざすのは言論の悪用だが、電力供給がなければ国民生活は成り立たない。電力を安定供給してきた電力会社の国家・国民への貢献は計り知れない。朝日がつぶれて日本が困ることは何一つないが、電力会社の経営が成り立たなければ日本は致命的である。

原発を否定するにはその代替をいわねばならない。事故後、反原発マスコミが電力の切り札として主張した再生エネルギーは幻想に終わった。化石燃料しかない。それではホルムズ海峡で戦争が起き、化石燃料が入手できなくなったら朝日は責任を取れるか。地球温暖化は元に戻せない。年々、猛威を振るう異常気象に朝日は責任を取れるか。脱原発に行くにしても、ドイツのように動かしながらそれに向かうという主張ならまだしも、シナリオも示さないで塩崎氏の当然の行為を批判するなど論外であろう。
また“リスクゼロにならない以上”という。この論説委員はリスクゼロの世界がこの世に存在すると思っているのだろうか。また、“最低限の安全確認に過ぎない”という。津波対策を講じた原発の安全性がどれだけ高まっているか、百聞は一見に如かずだから一度見学してきたらどうか。

ニ)社説は言う、『政策転換への機会に福島第一原発の事故収束や老朽化した原発の廃炉、代替電源の開発、送電網の再構築など、電力産業が今ほど資金を必要としているときはない。』
反論: 老朽化した原発の廃炉、というが、米国では102基の原発の内、70基程度の寿命が40年から60年に延長されている。現在では、80年までの寿命延長を検討している。論説委員はその技術報告書を読み切ったのだろうか。自らの知的限界をはっきりさせて社説を書くべきだろう。さらに言えば、40歳の原発は圧力容器やコンクリート建屋以外の多くの機器は新品になっている。老朽化の表現は的外れ。日本でも高経年化の技術評価は10年かけてなされ寿命延長の可能性は確認されている。その事情を理解するには事業者との対話は欠かせない。対話を拒否する規制委員会に反省を求めるのは当然であろう。

電力産業が今ほど資金を必要としているときはない、という。過剰な安全設備を平気で要請し世界のひんしゅくを買っている規制委員会。非現実的な事象を次から次へと要求し審査を遅らせている島崎委員。速やかに運転再開すれば、年間3〜4兆円の収益。10年間で40兆円の純益。福島復興の費用や再処理の費用など軽く賄える。原発は日本にとって基幹である。
結 論 : 要するに、脱原発の主張は、技術論・経済論では勝ち目がないことがはっきりしてきた。従って情緒に訴える世論調査の結果に舵を切り始めた。彼らの世論調査に惑わされてはならない。原発のことを少しでも知っている者にとっては小泉元首相の脱原発発言など児戯の類で聞くに堪えない。これまで日本の足を引っ張ってきた安保闘争や成田闘争などが如何に克復されてきたかを思えば、反日勢力には正義はないから、やがて消滅するしかないだろう。
[ K.M. 記 ]
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